男子会
2014年03月21日
かつて、仮想軍隊クラフトフェルトでは、3月の春分の日前後に奥多摩の某海沢渓谷で設営隊活動(いわゆる軍装キャンプ)をやってたのですが、その伝統を引き継いで去年から日帰りで焚き火をやりに行く事にしました。ところが、一人ではあまりに寂しくて泊まらず帰ってきたので、今年は職場の同僚たちと男子会を兼ねて奥多摩に出ばる事にしました。
ところが、作戦の前日に帰宅途中で財布を落とすという事件があり、免許証などの公的カードもさる事ながら、現金まで一気に無くしてしまい、かなりヤバい事になってしまいました。幸い、お金は一枚だけ残っていたので、どうにか男子会には参加出来ましたが、帰りの運転は運転免許証がないので出来ませんでした。
■レンタカーで移動
これまでの男子会では、自転車やスクーターといった移動手段で集合していたのですが、今回は現地に着いてからもそこそこの距離を荷物もって上がったり下ったりしなければならないのと、男子会と銘打ちながら御婦人が約1名同行する事になったので、車両移動という事になりました。まぁ、かつてのクラフトフェルト設営隊でも、車両行軍は基本でしたから珍しい事ではありません。
レンタカーは朝0800時から借りれるという事で、0830時に石神井公園駅に集合だったのですが、前の晩に財布探したり遺失届を出しに行ったりで、あれこれ準備に手間を食ってしまい、朝、目が覚めてからもぼーっとしてて時間が過ぎてしまい、いつもなら早めに着いている自分が今回は15分ほど遅刻してしまいました。
ともかく、レンタカーに乗り込んで行軍を開始した訳ですが、今度は道がエラい渋滞でなかなか青梅市に着きません。3連休の初日だからか、奥多摩の梅園に見物に行く人が多いのか、ノロノロしてなかなか前に進まない。途中、コンビニで休憩したり、スーパーで買い物したりして、4時間ほどして、ようやく海沢川に到達しました。
流石にその辺りになると、車も人も少ないのですが、林道海沢線に入ってビビリました。というのも、いつぞやの大雪のあとか、なだれ込んだ雪がまだ残っていて、林道の部分だけ雪が掘削されて、所によっては雪の壁の中を進むという感じです。まるで豪雪地帯のミニチュア版みたいな感じです。20年来こんな風になっているのは、初めての光景でした。
とはいえ、昔と違って今は海沢園地の上の方まで一応は舗装されていますので、ゆっくり行けば何なりと上がって行く事が出来ます。現地に着いたのは、当初予定していた時間よりも2時間遅れて、1300時頃でした。
■燃料を集めろ
これまでの男子会では、バケツコンロで炭火を熾してましたが、今回はそんな甘っちょろい事は禁止です。事前に全員に、防寒に配慮した服装、足下の安全を担保した靴、軍手、新聞紙、マッチなどを持参する様に指示してあったのですが、これは林道上部で杉の枝などを拾って焚き火をする為です。焚き火の燃料となる枝は、土地の林業の人が枝打ちしたのがいくらでも転がっているので、それを有り難く頂戴する訳です。
設営隊時代には、一晩燃すために山肌の斜面にまで登って枝を落としていたのですが、日帰りではそんなに沢山は要りません。また、長い枝を真ん中から燃やして、半分になったのをさらに真ん中から燃やして、順次に短くしていくのが面白かったりするのですが、そんな悠長な事してる時間もありませんし、長い枝は料理の焚き火にするには邪魔なので、折りたたみのノコギリで30cmくらいに切っていきました。また、レンタカーに直に薪を載せたら車内が汚れてしまうので、職場から90リットルのゴミ袋を貰ってきて、二重重ねにした中に入れて、レンタカーのシートにも新聞紙を敷いて載せました。薪の量は、90リットル一杯で大体4時間は持ちそうです。
さて、首尾よく薪を調達したあと、林道を下って設営地に到着したのですが、難儀したのは渓流に降りて行く斜面。結構急なのは昔からですが、今回は大雪の影響か、杉の葉が一杯落ちていて地面が見えないのです。かつ、雪も残っている部分が結構あって、かなり足下がヤバい感じでした。とりあえず、90L袋の薪は下にぶん投げて、各自の荷物はリレー方式で下に送って、滑って落ちない様に気をつけて降下しました。
■料理しますよ
さて、下に下ったら早速カマド作りである。といっても、そこらにゴロゴロとメロン大の石が転がっているので、それを集めて円陣を組めばおしまい。簡単なものである。カマドが出来たら薪を放り込んで火入れである。予定では、クソ真面目に新聞紙や枯れた杉の葉などで火を熾すつもりでいたのだが、時間が押しているのでゲルネンを投入。ところが、予想以上に風が強くてなかなか火が着かない。何本かマッチを犠牲にしてようやく点火した。火が着いてしまえば、ゲルネンは勝手に薪に火を付けてくれるので楽勝である。
火が熾きたら、年始に購入したハンゴーキャッチをプラスチックハンマーで地面に打ち込み、炊爨開始です。ところが、地面が柔らかいくせに10cmくらい下にはデカイ石があるみたいで、縦棒が結構ぐらぐらして心もとない。この状態で飯盒ぶら下げたら、うっかり縦棒が転けてエラい事になりそうなので、適当な大きさの石で棒をサンドして極力グラつかない様にしました。
いい感じで火が熾ってきたので、いそいそと料理開始。まずご飯は米4合の無洗米でチャレンジ。いきなり沸騰しない様に、若干火から遠ざけて、じっくり炊く様にしました。オカズの方は豚汁という事で、ネギの皮剥いたり人参切ったりしてましたが、アドバイス通りハサミを持ってきてたので、あまり道具で嵩張らず準備が出来た様です。
問題は豚汁の作り方で、自分の認識では、先に肉を炒めてから、野菜をぶち込んで、野菜に火を通しつつ肉の旨味を野菜にしみ込ませる、というものでした。ところが、手順を逆にやろうとしたので、注意しようと思ったのですが、「たにしさん、小姑みたいに〜〜〜w」と言われたので、各員の自主性に任せる事にしました。まぁ、失敗もまた学習ですw

残ってた雪に缶ビール埋めます
本当は熱燗の予定だったんですが、メニュー見て変更したとかw

自分が火を用意してる間に
他の人たちは隅の方で、具材の準備中

これぞ飯盒炊爨!って感じですねww
ハンゴーキャッチは石でブラブラしない様に抑えてます
■実は結構寒かった
まぁ、なんだかんだで飯も上手に炊けたし(しかも飯盒の底を焦げ付かさない程度におこげも出来たw)、豚汁も少々煮込みが足りない感じがしないでもなかったですが、それなりに食える物が出来ました。まぁ、自分以外は焚き火で料理作るのは今回が初めてだった訳ですが、まったくの失敗ではなかったので、そこそこ上出来と評価しました。
ところで、海沢渓谷は、渓谷というだけあって谷底なので、山の方は照っていても谷の方は日陰です。かつ風も強かったのですが、その上いつぞやの大雪も残っているという状態で、風が吹くと結構寒い。到着して間もなくの間は、それなり動いていたのであまり感じませんでしたが、料理が出来る頃にはあまり動かないので、風が吹くと身体が冷えてくる。自分はマイナス10度くらいまで耐えるツーリング用のジャケットを着てたので大丈夫でしたが、皆さん一様に寒そうです。特に寒がってたのは御婦人で、どうみても普段着の上からリスの絵の小さい毛布被ってる感じです。かつ、どうすれば極力体温を奪われずに済むかもご存知ない様でした。
まずは頭を覆う事、体温の20%は頭から逃げて行くからです。その上で肩から毛布被って、さらに腹回りも防護する様に教えてあげました。もっとも、それでも気休め程度ですので、自分のライディングジャケットも貸してあげたのですが、最後にはそれでも耐えられんという事で先にレンタカーに退避して貰いました。
あとで聞けば、一応は防災マニアらしいのですが、実地訓練は今回が初めてとの事。「この調子で災害きたら、アンタ凍死やで〜w」と言っておきましたが、まぁ何事もトライ・アンド・エラーですので、これにめげず、次回は完全装備で参加して貰いたいものです。
実はこのあと、焼きソバとぜんざいをやるつもりだったのですが、日も陰ってきて寒いし、レンタカーは2000時までに返さねばならない、という事で、余裕みて1600時に撤収する事にしました。今回は最初から日帰りの予定でしたが、のんびりするなら、やっぱり泊まりがけじゃないと無理があるねー、と感じました。
■ハンゴーキャッチの評価
さて、今回満を持して投入したハンゴーキャッチですが、結論から先に言うと、ちょっと使い勝手が悪いかなー、という感じでした。その理由は、
高さが足りない件は、今回は地面に穴を掘らなかったからで、本来は穴を掘ってその中で焚き火をすれば解決した問題です。もっとも、仮にそうしたとしても、ブラブラするのを防止しようとしたら、もっと深く地面に突き刺す必要があり、その意味でも縦棒の長さは足りないと感じました。もっとも、いきおい長くしたら携帯性に問題が出てくる訳で、一概に長くしたら良いという事でもなさそうです。
ご飯を炊いている時に蓋を取ったり、あるいは飯盒で具材を炒めたりする際に、横棒にぶら下がった状態では非常にやりにくい事が分かりました。横棒にぶら下げて炊爨する要領は、旧日本陸軍に限らず世界各国の軍隊でもやっている事ですが、基本的に蓋を取らない炊爨に適した方法であって、自分の様に始終蓋を取る人には、やりにくい装備である事がよく分かりました。
同様に、飯盒を火から下ろす時に、横棒から抜かねばならない訳ですが、些細な事ながらこれが面倒くさい。日頃、ストーブの上に置いて調理するのに慣れているせいか、本来なら飯盒は横棒にぶら下げて使うのが当然の事なのですが、横棒から外すのにストレスを感じました。特に隣の飯盒はまだ火に掛けておく必要がある時に面倒です。
この様な具合で、期待の新装備でしたが、結果はイマイチでした。まぁ、自分以外に買ってる人が居ないのもそこそこ頷ける気がしますが、ただ単に使い慣れてないせいかもしれませんので、これにめげずまた使う機会を設けたいと思います。
ところが、作戦の前日に帰宅途中で財布を落とすという事件があり、免許証などの公的カードもさる事ながら、現金まで一気に無くしてしまい、かなりヤバい事になってしまいました。幸い、お金は一枚だけ残っていたので、どうにか男子会には参加出来ましたが、帰りの運転は運転免許証がないので出来ませんでした。
■レンタカーで移動
これまでの男子会では、自転車やスクーターといった移動手段で集合していたのですが、今回は現地に着いてからもそこそこの距離を荷物もって上がったり下ったりしなければならないのと、男子会と銘打ちながら御婦人が約1名同行する事になったので、車両移動という事になりました。まぁ、かつてのクラフトフェルト設営隊でも、車両行軍は基本でしたから珍しい事ではありません。
レンタカーは朝0800時から借りれるという事で、0830時に石神井公園駅に集合だったのですが、前の晩に財布探したり遺失届を出しに行ったりで、あれこれ準備に手間を食ってしまい、朝、目が覚めてからもぼーっとしてて時間が過ぎてしまい、いつもなら早めに着いている自分が今回は15分ほど遅刻してしまいました。
ともかく、レンタカーに乗り込んで行軍を開始した訳ですが、今度は道がエラい渋滞でなかなか青梅市に着きません。3連休の初日だからか、奥多摩の梅園に見物に行く人が多いのか、ノロノロしてなかなか前に進まない。途中、コンビニで休憩したり、スーパーで買い物したりして、4時間ほどして、ようやく海沢川に到達しました。
流石にその辺りになると、車も人も少ないのですが、林道海沢線に入ってビビリました。というのも、いつぞやの大雪のあとか、なだれ込んだ雪がまだ残っていて、林道の部分だけ雪が掘削されて、所によっては雪の壁の中を進むという感じです。まるで豪雪地帯のミニチュア版みたいな感じです。20年来こんな風になっているのは、初めての光景でした。
とはいえ、昔と違って今は海沢園地の上の方まで一応は舗装されていますので、ゆっくり行けば何なりと上がって行く事が出来ます。現地に着いたのは、当初予定していた時間よりも2時間遅れて、1300時頃でした。
■燃料を集めろ
これまでの男子会では、バケツコンロで炭火を熾してましたが、今回はそんな甘っちょろい事は禁止です。事前に全員に、防寒に配慮した服装、足下の安全を担保した靴、軍手、新聞紙、マッチなどを持参する様に指示してあったのですが、これは林道上部で杉の枝などを拾って焚き火をする為です。焚き火の燃料となる枝は、土地の林業の人が枝打ちしたのがいくらでも転がっているので、それを有り難く頂戴する訳です。
設営隊時代には、一晩燃すために山肌の斜面にまで登って枝を落としていたのですが、日帰りではそんなに沢山は要りません。また、長い枝を真ん中から燃やして、半分になったのをさらに真ん中から燃やして、順次に短くしていくのが面白かったりするのですが、そんな悠長な事してる時間もありませんし、長い枝は料理の焚き火にするには邪魔なので、折りたたみのノコギリで30cmくらいに切っていきました。また、レンタカーに直に薪を載せたら車内が汚れてしまうので、職場から90リットルのゴミ袋を貰ってきて、二重重ねにした中に入れて、レンタカーのシートにも新聞紙を敷いて載せました。薪の量は、90リットル一杯で大体4時間は持ちそうです。
さて、首尾よく薪を調達したあと、林道を下って設営地に到着したのですが、難儀したのは渓流に降りて行く斜面。結構急なのは昔からですが、今回は大雪の影響か、杉の葉が一杯落ちていて地面が見えないのです。かつ、雪も残っている部分が結構あって、かなり足下がヤバい感じでした。とりあえず、90L袋の薪は下にぶん投げて、各自の荷物はリレー方式で下に送って、滑って落ちない様に気をつけて降下しました。
■料理しますよ
さて、下に下ったら早速カマド作りである。といっても、そこらにゴロゴロとメロン大の石が転がっているので、それを集めて円陣を組めばおしまい。簡単なものである。カマドが出来たら薪を放り込んで火入れである。予定では、クソ真面目に新聞紙や枯れた杉の葉などで火を熾すつもりでいたのだが、時間が押しているのでゲルネンを投入。ところが、予想以上に風が強くてなかなか火が着かない。何本かマッチを犠牲にしてようやく点火した。火が着いてしまえば、ゲルネンは勝手に薪に火を付けてくれるので楽勝である。
火が熾きたら、年始に購入したハンゴーキャッチをプラスチックハンマーで地面に打ち込み、炊爨開始です。ところが、地面が柔らかいくせに10cmくらい下にはデカイ石があるみたいで、縦棒が結構ぐらぐらして心もとない。この状態で飯盒ぶら下げたら、うっかり縦棒が転けてエラい事になりそうなので、適当な大きさの石で棒をサンドして極力グラつかない様にしました。
いい感じで火が熾ってきたので、いそいそと料理開始。まずご飯は米4合の無洗米でチャレンジ。いきなり沸騰しない様に、若干火から遠ざけて、じっくり炊く様にしました。オカズの方は豚汁という事で、ネギの皮剥いたり人参切ったりしてましたが、アドバイス通りハサミを持ってきてたので、あまり道具で嵩張らず準備が出来た様です。
問題は豚汁の作り方で、自分の認識では、先に肉を炒めてから、野菜をぶち込んで、野菜に火を通しつつ肉の旨味を野菜にしみ込ませる、というものでした。ところが、手順を逆にやろうとしたので、注意しようと思ったのですが、「たにしさん、小姑みたいに〜〜〜w」と言われたので、各員の自主性に任せる事にしました。まぁ、失敗もまた学習ですw

残ってた雪に缶ビール埋めます
本当は熱燗の予定だったんですが、メニュー見て変更したとかw

自分が火を用意してる間に
他の人たちは隅の方で、具材の準備中

これぞ飯盒炊爨!って感じですねww
ハンゴーキャッチは石でブラブラしない様に抑えてます
■実は結構寒かった
まぁ、なんだかんだで飯も上手に炊けたし(しかも飯盒の底を焦げ付かさない程度におこげも出来たw)、豚汁も少々煮込みが足りない感じがしないでもなかったですが、それなりに食える物が出来ました。まぁ、自分以外は焚き火で料理作るのは今回が初めてだった訳ですが、まったくの失敗ではなかったので、そこそこ上出来と評価しました。
ところで、海沢渓谷は、渓谷というだけあって谷底なので、山の方は照っていても谷の方は日陰です。かつ風も強かったのですが、その上いつぞやの大雪も残っているという状態で、風が吹くと結構寒い。到着して間もなくの間は、それなり動いていたのであまり感じませんでしたが、料理が出来る頃にはあまり動かないので、風が吹くと身体が冷えてくる。自分はマイナス10度くらいまで耐えるツーリング用のジャケットを着てたので大丈夫でしたが、皆さん一様に寒そうです。特に寒がってたのは御婦人で、どうみても普段着の上からリスの絵の小さい毛布被ってる感じです。かつ、どうすれば極力体温を奪われずに済むかもご存知ない様でした。
まずは頭を覆う事、体温の20%は頭から逃げて行くからです。その上で肩から毛布被って、さらに腹回りも防護する様に教えてあげました。もっとも、それでも気休め程度ですので、自分のライディングジャケットも貸してあげたのですが、最後にはそれでも耐えられんという事で先にレンタカーに退避して貰いました。
あとで聞けば、一応は防災マニアらしいのですが、実地訓練は今回が初めてとの事。「この調子で災害きたら、アンタ凍死やで〜w」と言っておきましたが、まぁ何事もトライ・アンド・エラーですので、これにめげず、次回は完全装備で参加して貰いたいものです。
実はこのあと、焼きソバとぜんざいをやるつもりだったのですが、日も陰ってきて寒いし、レンタカーは2000時までに返さねばならない、という事で、余裕みて1600時に撤収する事にしました。今回は最初から日帰りの予定でしたが、のんびりするなら、やっぱり泊まりがけじゃないと無理があるねー、と感じました。
■ハンゴーキャッチの評価
さて、今回満を持して投入したハンゴーキャッチですが、結論から先に言うと、ちょっと使い勝手が悪いかなー、という感じでした。その理由は、
- 全体的にブラブラしてて安定感がない。
- 地面に差した時、意外に高さが足りない。
- 飯盒の蓋を取るのがちょっと大変。
- 飯盒を取る時に、横棒から抜かねばならない。
高さが足りない件は、今回は地面に穴を掘らなかったからで、本来は穴を掘ってその中で焚き火をすれば解決した問題です。もっとも、仮にそうしたとしても、ブラブラするのを防止しようとしたら、もっと深く地面に突き刺す必要があり、その意味でも縦棒の長さは足りないと感じました。もっとも、いきおい長くしたら携帯性に問題が出てくる訳で、一概に長くしたら良いという事でもなさそうです。
ご飯を炊いている時に蓋を取ったり、あるいは飯盒で具材を炒めたりする際に、横棒にぶら下がった状態では非常にやりにくい事が分かりました。横棒にぶら下げて炊爨する要領は、旧日本陸軍に限らず世界各国の軍隊でもやっている事ですが、基本的に蓋を取らない炊爨に適した方法であって、自分の様に始終蓋を取る人には、やりにくい装備である事がよく分かりました。
同様に、飯盒を火から下ろす時に、横棒から抜かねばならない訳ですが、些細な事ながらこれが面倒くさい。日頃、ストーブの上に置いて調理するのに慣れているせいか、本来なら飯盒は横棒にぶら下げて使うのが当然の事なのですが、横棒から外すのにストレスを感じました。特に隣の飯盒はまだ火に掛けておく必要がある時に面倒です。
この様な具合で、期待の新装備でしたが、結果はイマイチでした。まぁ、自分以外に買ってる人が居ないのもそこそこ頷ける気がしますが、ただ単に使い慣れてないせいかもしれませんので、これにめげずまた使う機会を設けたいと思います。
2013年06月09日
前回の嵐山作戦のあと、急速の再軍備を進めた訳ですが、努力?の甲斐あって野営装備の大部分を軍装化する事が出来ました。今回の再軍備では、別にサバイバルゲームをやる訳ではないので、着る物、担ぐ物、泊まる物の3つにテーマを絞り、それぞれMCCUU(アメリカ海兵隊のマーパット迷彩服)とLightweight Exposure(ゴアのレインウェア)、RECON ASSULT PACK、EBNSを調達しました。短期間での調達だったので、結構な出費になりましたが、モトクロスやる事思えば、予算的には10分の1程度です。
出来ればスリーピングマットも海兵隊の物に替えたかったですが、値段が高いのとサーマレストのプロライトのカバーが違うだけなので、今回は止めにしました。また、寝具も3SSS(3-Season Sleep System)にしたかったのですが、セットで値段が4万近く、さすがに今回は手が出せませんでした。まぁ、あまり一気にやるのも楽しみが減るというものなので、次の機会に回す事にしました。
■準備
取り敢えず物が揃った訳ですが、問題はこれまで使っていた民間品とは重さ大きさが違うので、パッキングには少し頭を使いました。
シュラフはこれまで通りなので、アサルトパックのボトムにアンダーウェアと一緒に入れ、マットも従来通りアサルトパックの主室の下に入れた訳ですが、問題はテントであるEBNS。これまではエアライズ2だったので、そんなに嵩張らず、マットの上に入れて、かつパックに余裕が出来ていたのですが、EBNSとグランドシートを入れるとそれだけでパックがパッツンパッツンです。一応、アルストセットやキャンティーン、タオルや食糧などは、外付けのポーチに入れる事にしていましたが、防寒用のフリースさえ入れれないのは問題です。
そこで、同行してもらうToyofusaさんを真似て、EBNSを副室のカバーになってる背面のウェビングに付ける事にしました。2kg近い物が背中から遠い所にあるのは、バランス的に今ひとつなのですが、容量確保のためには仕方ないかなー、という所。EBNSのグランドシートは副室に納める事にしました。
雨具であるLightweight Exposureは、当初はイイ感じの大きさに畳んで、アサルトパックの副室の方に入れようと思っていたのですが(その方がサッと取り出せる)、しかしEBNSのグランドシートを入れる事にしたので、小さく畳んでSEAL LINE MACS Sackに入れてパックの主室に入れました。もともとLightweight Exposureは軽量かつ薄いので、サックを圧縮するとかなり薄くなります。EBNSを外付けにする事で、かなり容量を稼ぐ事が出来たので、食糧を入れたサステインメントポーチやフリースをパックに収納する事が出来ました。
次に気にしたのは服装で、もちろん軍装な訳ですが、下はトラウザーにブーツは良いとして、上もばっちりブラウス(MCCUUの上衣はブラウスという)もキメたのでは、さすがに電車の中でイタイかなーと思い、6年もののOGのTシャツだけにしました。まぁ、どのみち暑くて上衣まで着てられないだろうと思った訳です(その通りだった)。

EBNSを外付けにした事で、サーマレスト以外に
食糧、雨具、フリースを内蔵する事が出来る様になりました

オージービーフの付け合わせはポテトだろ、って事で投入
しかし、肉が多くて食えませんでしたw
パエリアはめっちゃ旨かったです
■多峰主山〜天覧山〜高麗峠
今回の作戦は、実はホタル見に行くのが主目的で、目的地である日高市巾着田は西武池袋線高麗駅から歩いて20分。これでは絶対的に時間を持て余してしまうし、そもそもせっかく買ったアサルトパックを背負って歩いて具合を確かめる事も出来ません。それはなんぼ何でも、という事で、飯能駅から多峰主山、天覧山、高麗峠を結ぶハイキング道を歩いて目的地を目指す事にしました。
といっても、のんびり歩いても2時間もあれば到着する、という事で、飯能駅は1200時集合。飛び乗った電車が鈍行で、集合時間を10分ほど過ぎてしまいましたが、無事、Toyofusaさんと合流。揃いのデザート・マーパット(Toyofusaさんは上衣も着込んでたw)で、道行く人々から珍妙な動物を見る目で見られながら、行軍を開始しました。
飯能というと、失礼ながら自分には田舎のイメージしかないのですが、確かにその通りで、歩き出して30分もしないウチに山の遊歩道に突入です。まぁ、自分の実家の長岡京市もそんな感じなのですが、市民向けの遊歩道の整備は飯能の方が上の様です。二人してテクテク歩いていると、何人かのハイキングの人とすれ違いました。町中では珍妙は生き物を見る目で見られるのに、山の中では案外そうでないのは、やっぱりアウトドア向けの格好をしているからでしょう。
今回のミッションでは、遊歩道を歩くだけで登頂は目指さないのですが(Toyofusaさん曰く、「景色が良いだけだから」w)、約13kgの荷物背負って歩くだけでも、それなりに結構いい運動です。キャンプするという目的が無ければ決してやらない事だと思うので、運動するにも目的というのは大事だと思いました。大半はダラダラと歩ける平面な道なのですが、時々は登り坂があったりして、そんな時でもアゴを出さずに歩けたのは、日頃の水泳のお陰だと思いました。
こんな感じで出発から2時間後には高麗峠に着きました。当初の予定では、途中で昼飯食って、1600時ころ巾着田に着く予定だったのですが、全然腹が減ってない。それもそのはず、自分は出発前にフライの4色丼を食い(大島のダイエーでフライが安かった)、Toyofusaさんもカップ焼きそば(恐らく大盛り)食ってきたという事で、わざわざ荷物広げて飯食いたい、というほどではない。しかも目的地まであと20分と言われたら、目的地着いてから食った方が良さそうなもんです。
その様な訳で、予定よりも1時間早い1455時、巾着田に掛かるドレミファ橋に到着しました。

待ち合わせ場所で集合
この方は、こういう格好でもあまり違和感ないですw

高麗峠で休憩
前回とは装備一新。まぁ自分的にはこっちが普通ですがw

目的地の巾着田ドレミファ橋に到着
なんでドレミファなのかは判らんそうですww
■ホタルゲット
到着と同時に、野営地を設営。EBNSは初めて使うテントですが、設営そのものは難しいものではなく、せいぜい地面が固くてアルミのペグが刺さらないので困ったくらいでした。設営が済んだあと、歩いて10分のコンビニに飲み物など買いに行き、まだ腹は減ってないけど今食わんと、夜の大ミッションに備えられないという事で、遅めの昼食を摂りました。
さて、長かった陽も暮れて、1930時からホタルの鑑賞会が始まりました。ホタルは巾着田の外側の田畑の中を流れる小川に生息してるそうで、小川に入り込まない様にロープがしてありました。最初はあまり見れなかったのですが、2000時頃から光り出すホタルが増えてきて、なかなかの見物でした。もっとも、ホタルの数より鑑賞に来てた人間の方が多かった様ですが。
十分ホタルを堪能したあと、好例、もとい恒例のオージービーフの夜、スタート。今回は一人380gという事で、決死の覚悟で食い尽くしました。今回は自分が持参したチューブバターで焼いたのですが、前回より全然美味く食べれました。しかし、その後に出て来たチーズ・イン・ソーセージはもっと美味しくて、4本も食べてしまいました。
ところが、塩辛いものばかり食べたので(オージービーフはステーキソースや醤油禁止で、塩胡椒のみで味付け)、甘い物が食べたくなりました。そこで再びコンビニに甘い物買いだし。その帰りに、鑑賞会が終わったホタルの小川に寄ってみたところ、Toyofusaさんが地べたに落ちていたゲンジボタルを発見。「よく発見しましたねーー!」と驚いた訳ですが、夜間昆虫採集のエキスパートだけに楽勝だったそうですw
そのホタルをコンビニ袋に入れ(エクレアとプリンはトラウザーのポケットへ。エクレアは爆裂し、プリンはシェークになったw)、一晩枕元に置いてたのですが、ずっと光り続けててなかなか雅なものでした。(翌朝リリースしました)

EBNS二張り
国内でEBNS使ってる人はあまり居なさそうなので
珍しい光景になるのかも??

遅い昼飯
自分は乾パンだけにしましたが
Toyofusaさんはフォーと残り汁にご飯入れてましたww
ホタル鑑賞会
一所懸命、ホタル光ってました

そして、大オージービーフ大会
なんと一人380gです。もちろんお残し禁止ですww

さらにソーセージもwww
どんなけ食うんだwww

野菜も食え、という意見が出そうですが、何も食えませんww
せっかくですから、サイリュームで雰囲気出しました

コンビニの帰りにホタル発見!!
生まれて初めて、ゲンジボタルを生で見ました
コンビニ袋の中で光るホタル
明るくなるまで光ってました(翌朝逃がしました)
■翌日は撤収するだけ
食う物食ってする事もなくなったので、さぁ寝るかー、という事になったのですが、問題は今回初めてEBNSで寝るという事。これまでのエアライズ2は2人用とは言え結構広く天井も高かったのですが、EBNSは横になる高さしかありません。慣れてないせいもあるでしょうが、結構寝にくく感じました。そのせいか、2時間ほどは寝てた様なのですが、夜中に目が覚めて、そのあと全然寝れなくて、そのまま夜が明けてしまいました。まぁ、前日に大して身体使ってなかったのもありますし、行きの電車でずっと寝てたのも影響してたと思います。
0700時頃から、ごそごそと朝飯に取り掛かったのですが、Toyofusaさんはリークのヌードル(ただし、リークは長ネギとタマネギで代用w)、自分はアルファ米にパエリアの素を混ぜたやつ、という風に朝からヘヴィな物食ってました。もっとも、前の晩の飯もまだこなれてない状態だったので、食ったあとは1時間くらい動けませんでしたw
やっとこ撤収となったのですが、EBNSは折って畳んで丸めるだけですので、案外撤収は手早く出来ました。パッキングが済んだあとは、高麗駅まで約20分の行軍。高麗駅は文字通り何にもない駅で、奇妙な2本のトーテムポール以外は、売店も牛丼屋もなく(あっても食えなかったがw)、土産物屋も閉店、辛うじてジュースの自販機だけはありました。その割には遠足風の子供達やハイキング風の老若男女が多かったのが印象的でした。

朝っぱらからヘヴィは朝食です
でも、どっちも美味くて完食ですw

撤収作業中
休憩前に予めパッキングは済ませてましたので
さっさと終える事が出来ました

高麗駅前の様子
高麗郡は8世紀に高句麗の王族が亡命して封じられた場所らしいんですが
このトーテムポールは高句麗とはあまり関係ないとか
(高句麗は騎馬民族、このトーテムポールは農耕民の習俗)
■まとめ
今回は生まれて初めてホタルを見る、という目的だったのですが、ホタルが光って飛んでるのを見ただけでなく、ホタルの現物もゲット出来、大成功に終わりました。ホタルごときで大喜びする歳でもあるまいしー、という気もしないでもないですが、でもなかなか良かったですよ、ホタル。
RECON ASSULT PACKに最大限荷物を詰めて担いで歩いたのですが、あんだけペラペラのショルダーストラップの割には担ぎやすく、ここ数年で軍装のバックパックも進歩してるんだなー、と感じました。もっとも、このアサルトパックは衛生兵用のCorpsmanを流用したものですが、コアマンの場合、衛生材料一式を積んだ時の重さが13kgくらいらしくて、それ以上の装備を詰める事を前提としていないから、ペラいショルダーストラップなのかも知れません。何にしても、MOLLEシステムであるので外付けで拡張出来るのがとても良く、少々容量不足に感じるものの、十分外付けで補う事が出来ました。
テントも軍装で、という事で、アメリカ海兵隊が採用しているEBNSを投入したのですが、使い勝手や居住性については、やはり民間のドーム型テントには及ばぬ様です。まぁ、もとがベットネットですので、コンセプトが違うから仕方ない訳ですが、ある程度は慣れていくしかなさそうです。疲労度が強いミッションを行う場合はエアライズ2を使い、今回の様に軍装使って遊ぶ場合はEBNSで、という風に使い分けると良いなと思ってます。
そして、今回も激烈wオージービーフの夜があった訳ですが、ステーキソースや醤油禁止であるからには、塩などの粉末系の調味料で挑まねばならぬ訳で、実は塩と黒胡椒を混ぜたのを持って行く予定だったのですが、すっかり忘れてしまいましたw 恐らく次回も出てくると思うので、忘れず持って行きたいものです。ご飯に混ぜる「洋ごはんつくろ」は、予想以上に美味くてナイスでした。アルファ米の臭さも気にならないほど美味いので、今後は常備したいと思います。
出来ればスリーピングマットも海兵隊の物に替えたかったですが、値段が高いのとサーマレストのプロライトのカバーが違うだけなので、今回は止めにしました。また、寝具も3SSS(3-Season Sleep System)にしたかったのですが、セットで値段が4万近く、さすがに今回は手が出せませんでした。まぁ、あまり一気にやるのも楽しみが減るというものなので、次の機会に回す事にしました。
■準備
取り敢えず物が揃った訳ですが、問題はこれまで使っていた民間品とは重さ大きさが違うので、パッキングには少し頭を使いました。
シュラフはこれまで通りなので、アサルトパックのボトムにアンダーウェアと一緒に入れ、マットも従来通りアサルトパックの主室の下に入れた訳ですが、問題はテントであるEBNS。これまではエアライズ2だったので、そんなに嵩張らず、マットの上に入れて、かつパックに余裕が出来ていたのですが、EBNSとグランドシートを入れるとそれだけでパックがパッツンパッツンです。一応、アルストセットやキャンティーン、タオルや食糧などは、外付けのポーチに入れる事にしていましたが、防寒用のフリースさえ入れれないのは問題です。
そこで、同行してもらうToyofusaさんを真似て、EBNSを副室のカバーになってる背面のウェビングに付ける事にしました。2kg近い物が背中から遠い所にあるのは、バランス的に今ひとつなのですが、容量確保のためには仕方ないかなー、という所。EBNSのグランドシートは副室に納める事にしました。
雨具であるLightweight Exposureは、当初はイイ感じの大きさに畳んで、アサルトパックの副室の方に入れようと思っていたのですが(その方がサッと取り出せる)、しかしEBNSのグランドシートを入れる事にしたので、小さく畳んでSEAL LINE MACS Sackに入れてパックの主室に入れました。もともとLightweight Exposureは軽量かつ薄いので、サックを圧縮するとかなり薄くなります。EBNSを外付けにする事で、かなり容量を稼ぐ事が出来たので、食糧を入れたサステインメントポーチやフリースをパックに収納する事が出来ました。
次に気にしたのは服装で、もちろん軍装な訳ですが、下はトラウザーにブーツは良いとして、上もばっちりブラウス(MCCUUの上衣はブラウスという)もキメたのでは、さすがに電車の中でイタイかなーと思い、6年もののOGのTシャツだけにしました。まぁ、どのみち暑くて上衣まで着てられないだろうと思った訳です(その通りだった)。

EBNSを外付けにした事で、サーマレスト以外に
食糧、雨具、フリースを内蔵する事が出来る様になりました

オージービーフの付け合わせはポテトだろ、って事で投入
しかし、肉が多くて食えませんでしたw
パエリアはめっちゃ旨かったです
■多峰主山〜天覧山〜高麗峠
今回の作戦は、実はホタル見に行くのが主目的で、目的地である日高市巾着田は西武池袋線高麗駅から歩いて20分。これでは絶対的に時間を持て余してしまうし、そもそもせっかく買ったアサルトパックを背負って歩いて具合を確かめる事も出来ません。それはなんぼ何でも、という事で、飯能駅から多峰主山、天覧山、高麗峠を結ぶハイキング道を歩いて目的地を目指す事にしました。
といっても、のんびり歩いても2時間もあれば到着する、という事で、飯能駅は1200時集合。飛び乗った電車が鈍行で、集合時間を10分ほど過ぎてしまいましたが、無事、Toyofusaさんと合流。揃いのデザート・マーパット(Toyofusaさんは上衣も着込んでたw)で、道行く人々から珍妙な動物を見る目で見られながら、行軍を開始しました。
飯能というと、失礼ながら自分には田舎のイメージしかないのですが、確かにその通りで、歩き出して30分もしないウチに山の遊歩道に突入です。まぁ、自分の実家の長岡京市もそんな感じなのですが、市民向けの遊歩道の整備は飯能の方が上の様です。二人してテクテク歩いていると、何人かのハイキングの人とすれ違いました。町中では珍妙は生き物を見る目で見られるのに、山の中では案外そうでないのは、やっぱりアウトドア向けの格好をしているからでしょう。
今回のミッションでは、遊歩道を歩くだけで登頂は目指さないのですが(Toyofusaさん曰く、「景色が良いだけだから」w)、約13kgの荷物背負って歩くだけでも、それなりに結構いい運動です。キャンプするという目的が無ければ決してやらない事だと思うので、運動するにも目的というのは大事だと思いました。大半はダラダラと歩ける平面な道なのですが、時々は登り坂があったりして、そんな時でもアゴを出さずに歩けたのは、日頃の水泳のお陰だと思いました。
こんな感じで出発から2時間後には高麗峠に着きました。当初の予定では、途中で昼飯食って、1600時ころ巾着田に着く予定だったのですが、全然腹が減ってない。それもそのはず、自分は出発前にフライの4色丼を食い(大島のダイエーでフライが安かった)、Toyofusaさんもカップ焼きそば(恐らく大盛り)食ってきたという事で、わざわざ荷物広げて飯食いたい、というほどではない。しかも目的地まであと20分と言われたら、目的地着いてから食った方が良さそうなもんです。
その様な訳で、予定よりも1時間早い1455時、巾着田に掛かるドレミファ橋に到着しました。

待ち合わせ場所で集合
この方は、こういう格好でもあまり違和感ないですw

高麗峠で休憩
前回とは装備一新。まぁ自分的にはこっちが普通ですがw

目的地の巾着田ドレミファ橋に到着
なんでドレミファなのかは判らんそうですww
■ホタルゲット
到着と同時に、野営地を設営。EBNSは初めて使うテントですが、設営そのものは難しいものではなく、せいぜい地面が固くてアルミのペグが刺さらないので困ったくらいでした。設営が済んだあと、歩いて10分のコンビニに飲み物など買いに行き、まだ腹は減ってないけど今食わんと、夜の大ミッションに備えられないという事で、遅めの昼食を摂りました。
さて、長かった陽も暮れて、1930時からホタルの鑑賞会が始まりました。ホタルは巾着田の外側の田畑の中を流れる小川に生息してるそうで、小川に入り込まない様にロープがしてありました。最初はあまり見れなかったのですが、2000時頃から光り出すホタルが増えてきて、なかなかの見物でした。もっとも、ホタルの数より鑑賞に来てた人間の方が多かった様ですが。
十分ホタルを堪能したあと、好例、もとい恒例のオージービーフの夜、スタート。今回は一人380gという事で、決死の覚悟で食い尽くしました。今回は自分が持参したチューブバターで焼いたのですが、前回より全然美味く食べれました。しかし、その後に出て来たチーズ・イン・ソーセージはもっと美味しくて、4本も食べてしまいました。
ところが、塩辛いものばかり食べたので(オージービーフはステーキソースや醤油禁止で、塩胡椒のみで味付け)、甘い物が食べたくなりました。そこで再びコンビニに甘い物買いだし。その帰りに、鑑賞会が終わったホタルの小川に寄ってみたところ、Toyofusaさんが地べたに落ちていたゲンジボタルを発見。「よく発見しましたねーー!」と驚いた訳ですが、夜間昆虫採集のエキスパートだけに楽勝だったそうですw
そのホタルをコンビニ袋に入れ(エクレアとプリンはトラウザーのポケットへ。エクレアは爆裂し、プリンはシェークになったw)、一晩枕元に置いてたのですが、ずっと光り続けててなかなか雅なものでした。(翌朝リリースしました)

EBNS二張り
国内でEBNS使ってる人はあまり居なさそうなので
珍しい光景になるのかも??

遅い昼飯
自分は乾パンだけにしましたが
Toyofusaさんはフォーと残り汁にご飯入れてましたww
ホタル鑑賞会
一所懸命、ホタル光ってました

そして、大オージービーフ大会
なんと一人380gです。もちろんお残し禁止ですww

さらにソーセージもwww
どんなけ食うんだwww

野菜も食え、という意見が出そうですが、何も食えませんww
せっかくですから、サイリュームで雰囲気出しました

コンビニの帰りにホタル発見!!
生まれて初めて、ゲンジボタルを生で見ました
コンビニ袋の中で光るホタル
明るくなるまで光ってました(翌朝逃がしました)
■翌日は撤収するだけ
食う物食ってする事もなくなったので、さぁ寝るかー、という事になったのですが、問題は今回初めてEBNSで寝るという事。これまでのエアライズ2は2人用とは言え結構広く天井も高かったのですが、EBNSは横になる高さしかありません。慣れてないせいもあるでしょうが、結構寝にくく感じました。そのせいか、2時間ほどは寝てた様なのですが、夜中に目が覚めて、そのあと全然寝れなくて、そのまま夜が明けてしまいました。まぁ、前日に大して身体使ってなかったのもありますし、行きの電車でずっと寝てたのも影響してたと思います。
0700時頃から、ごそごそと朝飯に取り掛かったのですが、Toyofusaさんはリークのヌードル(ただし、リークは長ネギとタマネギで代用w)、自分はアルファ米にパエリアの素を混ぜたやつ、という風に朝からヘヴィな物食ってました。もっとも、前の晩の飯もまだこなれてない状態だったので、食ったあとは1時間くらい動けませんでしたw
やっとこ撤収となったのですが、EBNSは折って畳んで丸めるだけですので、案外撤収は手早く出来ました。パッキングが済んだあとは、高麗駅まで約20分の行軍。高麗駅は文字通り何にもない駅で、奇妙な2本のトーテムポール以外は、売店も牛丼屋もなく(あっても食えなかったがw)、土産物屋も閉店、辛うじてジュースの自販機だけはありました。その割には遠足風の子供達やハイキング風の老若男女が多かったのが印象的でした。

朝っぱらからヘヴィは朝食です
でも、どっちも美味くて完食ですw

撤収作業中
休憩前に予めパッキングは済ませてましたので
さっさと終える事が出来ました

高麗駅前の様子
高麗郡は8世紀に高句麗の王族が亡命して封じられた場所らしいんですが
このトーテムポールは高句麗とはあまり関係ないとか
(高句麗は騎馬民族、このトーテムポールは農耕民の習俗)
■まとめ
今回は生まれて初めてホタルを見る、という目的だったのですが、ホタルが光って飛んでるのを見ただけでなく、ホタルの現物もゲット出来、大成功に終わりました。ホタルごときで大喜びする歳でもあるまいしー、という気もしないでもないですが、でもなかなか良かったですよ、ホタル。
RECON ASSULT PACKに最大限荷物を詰めて担いで歩いたのですが、あんだけペラペラのショルダーストラップの割には担ぎやすく、ここ数年で軍装のバックパックも進歩してるんだなー、と感じました。もっとも、このアサルトパックは衛生兵用のCorpsmanを流用したものですが、コアマンの場合、衛生材料一式を積んだ時の重さが13kgくらいらしくて、それ以上の装備を詰める事を前提としていないから、ペラいショルダーストラップなのかも知れません。何にしても、MOLLEシステムであるので外付けで拡張出来るのがとても良く、少々容量不足に感じるものの、十分外付けで補う事が出来ました。
テントも軍装で、という事で、アメリカ海兵隊が採用しているEBNSを投入したのですが、使い勝手や居住性については、やはり民間のドーム型テントには及ばぬ様です。まぁ、もとがベットネットですので、コンセプトが違うから仕方ない訳ですが、ある程度は慣れていくしかなさそうです。疲労度が強いミッションを行う場合はエアライズ2を使い、今回の様に軍装使って遊ぶ場合はEBNSで、という風に使い分けると良いなと思ってます。
そして、今回も激烈wオージービーフの夜があった訳ですが、ステーキソースや醤油禁止であるからには、塩などの粉末系の調味料で挑まねばならぬ訳で、実は塩と黒胡椒を混ぜたのを持って行く予定だったのですが、すっかり忘れてしまいましたw 恐らく次回も出てくると思うので、忘れず持って行きたいものです。ご飯に混ぜる「洋ごはんつくろ」は、予想以上に美味くてナイスでした。アルファ米の臭さも気にならないほど美味いので、今後は常備したいと思います。
2013年04月29日
XR250を手放す以前からツーリングには全然行かなくなっていたのですが、たまにはツーリングも良いかな、なんて思う様になった今日この頃。もともと自分がバイクの世界に戻ってきたのは、ジョルノで犬吠埼に撮影に行ったのがキッカケですから、アドレスV100だっていっこうに構わない訳です。むしろ、原付でなく小型自動二輪ですから、前よりも機動力がアップしたくらいです。
それはともかくとして、以前から職場の同僚たちと「たまにはキャンプでも行くかー」みたいな話しが出てて、いよいよそれを挙行する事となりました。場所は、10数年前に自分が部隊の仲間とキャンプツーリングに来た利根川河川敷。今回は場所をちょっとずらして関宿近辺で行う事になりました(故に関宿男子会という名称になった)。自分はスクーターで、あとの二人は自慢の自転車で各々集合する、という事になりました。
■準備
今回は、3人が各々持ってるアウトドアグッズを活かしつつ、飯に関してはそれなりに共用しようという事で、自分はBBQコンロと炭、画家のI月君は飯盒で飯炊き、Uのピー(神様)はBBQに使う食材を持ってくる、という事になりました。
BBQコンロはスクーターの足元、炭は後ろのトランクに入れるとして、野営装備一式はどうするか。どうするかもこうするかも、ラッキーな事にアメリカ海兵隊のリーコン・アサルトパックを入手していたので、テント、シュラフ、マットの基本装備は詰め込み、ストーブはアルストからプリムスのP-153に切り換え(I月君が昔自分が売り飛ばしたオプティマスCRUXを持ってくると思ったので、ガスカートリッジを共通にした)、水はナルゲン・オアシスを装備。またBBQ大会なので折り畳みの椅子もリーコン・アサルトパックに縛着しました。天気予報では雨は降らない予報だったので、ポンチョはオミット。最悪降ってもトランクにレインウェアが入ってるので身体は濡れません(アサルトパックは濡れますが)
食料も他の二人が持ってくるので、自分は4号線のコンビニで厚切りバームクーヘンと麦茶だけ購入。2人は酒飲みですが自分は酒飲まないので甘味が欲しい訳です。
■宿営地変更
関宿城のベンチでごろ寝してると、Uのピー(神様)到着。聞くと風が強くて自転車組は結構大変とか。I月君は集合時間より1時間ほど遅れるとの事です。自転車だと5時間は掛かってるみたいです。取り敢えず到着までに時間があるので、先に野営地を探す事にしました。
予定では関宿城の近辺の河川敷でキャンプするつもりで、またそれっぽい場所も色々あったのですが、問題は自転車やバイクで乗り付けるためには、かなり大回りして来なければならない事。乗り物は関宿城の駐輪場において、荷物担いで河川敷に降りる事も考えたのですが、それはそれでちょっと面倒くさい。アサルトパックに荷物が積み込んである自分は良いですが、自転車にバッグを括り付けてる2人にはちょっと厳しい話しです。
そこで、どっちみち大回りするのなら、一旦道の駅さかいまで移動して、そこからキャンプ地を探そうという事になりました。合流したI月君と一緒に道の駅さかいに移動したあと、Uのピー(神様)が独特の嗅覚で関宿の対岸に降りる河岸道を発見。どこまでも続いている利根川河川敷の道をウロウロしているウチに、ゴルフ場かグライダーの飛行場みたいな芝生のグランドを発見。そこの端っこを男子会会場としました。

キャンプ地を探しに行くに当たって、買ってきた肉をバッグから出す神様
実は神様、キャンプは今回がほぼ初めてですw

奥の赤いのがI月君の轟天号、手前のが神様の流星号
積み込み方の違いに経験の差が現れてます

良い感じに砂利道を走る男子会一同
実はこの先に珍走団の一群がたむろってて、Uターンwww
■失敗続出ww
キャンプ地も無事に決まったところで、早速BBQスタート。いつもなかなか炭に火を着けるのに苦労しますが、ガストーチとゲルネンのお陰で一発点火。イイ感じに火が熾ったところで、さぁ焼くぞーと思ったら網がない。BBQに必要な装備は一式まとめてコンロの箱に入れて置いたはずなのに、ない。これには慌てたのですが、幸い近くにデカいホームセンターがあったので、そこで網を買ってきて貰いました。
さて、食うぞーと思ったら、持って行くはずだったシェラカップを忘れてました。まさか手で受けて食う訳にもいかないので、Uのピー(神様)の飯盒(自分が譲ったもの)の中盒を借りる始末。日頃偉そうな事をいう割には、大事なところで忘れ物しまくりです。
さて、イイ感じにBBQやってるウチに夜が更けて、徐々に寒くなってきました。自分は比較的防寒をしっかりしてたのですが、I月君はなんか寒そう。本人は大丈夫というものの、見てるこっちが寒くなる感じ。ところが、一晩中もつ筈だった炭は予想外に早く底つきかけている。ほとんど新品と思ってたのが、実は半分くらいしか残ってなかったらしい。もっとちゃんと点検しておくべきでした。慌ててホームセンターに走ったものの、もはや営業時間終了。
まぁ、ガスバーナーもあるし、缶入り固形燃料もあるという事で、コケネン使って飯盒で湯を沸かし、カップ焼きそばを食おうとしたら、今度は沸かした飯盒を転かして湯を全部地面にぶちまけてしまいました。なかなか上手い事行きませんw
さて、食うモン食って、燃やすモン燃やして、する事が無くなった頃に、だんだん結露は激しくなってきました。全濡れになる前にテント立てて装備を退避させました。
今回、キャンプはほぼ初めてのUのピー(神様)は、辛うじて銀空マットとキャプテンスタッグの1980円の封筒型シュラフは買ってきましたが、テントは未配備です。本人はテント無しで寝るつもりで、自分らもそのチャレンジャーぶりを楽しみにしてたのですが、予想外に結露が激しい。このままで行くと明け方までにシュラフは全濡れ確定です。本人曰く、もしダメそうだったら途中で助けて貰うと宣ってましたが、夜中に濡れ濡れのシュラフをテントに持ち込まれるのは、ぶっちゃけ迷惑です。
そこで、2人用のエアライズ2を持ってる自分の方に来て貰う事にしました。リーコン・アサルトパックはグランドシートを被せて外に放り出しました。実は、このテントで2人で寝るのは初めてなのですが、まさかその初めてがオッサンだとは思いもよりませんでしたwww
■古墳見てミッションコンプリート
やっとこ明け方になって熟睡できたのですが、「は、は、は、は、は、おはようございます」とまるで怪人二十面相みたいなI月君の笑い声で起こされて起床。気が付いたらお日様は中天に上がってました。地面はすっかり乾いてたのですが(夜中は盛大に濡れていた)、テントのフライシートは結構濡れてましたので、ただちに外してバイクに掛けて干しました。
フライやテントを乾かしてる間に朝食。昨日はBBQやインスタントの焼きそばやラーメンで腹一杯で食えなかった米の飯を炊き(I月君担当)、昨日無駄に多かった豚肉をハサミで脂身を除去して豚汁を作り(神様担当)、意外にそれっぽく出来た朝食を頂きました。ただ、ここで特筆すべきは、豚汁に牛肉を入れてしまうと、訳の分からん味になるので要注意です。
食事のあと、湯を沸かし食器類をざっと洗い、荷物をまとめてパッキング。この辺りは自分もI月君も手慣れたものでした。もちろんゴミも残さず持ち帰りましたが、意外にゴミの量が多かったのは、やはりBBQだったからでしょうか。

朝のキャンプサイト
誰にも邪魔されず、平和に朝を迎えました

包丁やナイフより、文房具のハサミの方が
アウトドアでは意外に役立ちます

得たいの知れない豚汁を調理中
今回、ワタクシは基本的に料理に口出ししませんでした

撤収準備完了
神様の流星号が昨日よりカオスな状態になってます
ところで、前夜に境町の河川敷でキャンプしてるとツイートしたところ、Toyofusaさんから「道の駅さかいの向かいにあるショッピングモールの駐車場に、蓋された古墳がある」と教えて貰いました。せっかくなので帰る前に見学にいきました。
ホームセンターの前にスクーターを駐め、さてどこにあるのかな、と探そうと思ったら、I月君が「たにしさん、ここ、ありましたよ!」と呼び止められました。振り返ってみると、四角形に鉄板敷き詰めて柵をした場所がありました。これがおたま塚古墳でした。柵をするなら蓋は要らないだろうし、蓋があるなら柵はやめて駐車場にしてしまえば良さそうなもんですが、太古の豪族の霊を恐れたんでしょうか。取り敢えず車を駐められない様にしてありました。
おたま塚古墳の直ぐそばには、蓋がされてない鷲塚古墳がありました。といっても、円墳の周りを堤防みたいにコンクリで固めて、駐車場の下に円墳が顔を覗かせてる様な感じ。コチラも柵がありましたが、古墳の姿が見えるだけマシです。もしかしたら、おたま塚古墳も昔はこんな感じだったのかもしれませんが、ゴミとか放り投げられたりして困って鉄板の蓋をしたのかもしれません。
古墳も見たし、じゃあ解散という事で1030時現地解散。帰りも4号線で帰るつもりが、iPhoneの素晴らしい誘導で、国道16号経由6号線で帰る羽目に。お陰で野田の2りんかんで切れかかってた2stオイルを買う事が出来ました。1345時、無事帰宅。帰り着いて昼飯食ったら急に眠くなって、夕方過ぎまで爆睡してました。
それはともかくとして、以前から職場の同僚たちと「たまにはキャンプでも行くかー」みたいな話しが出てて、いよいよそれを挙行する事となりました。場所は、10数年前に自分が部隊の仲間とキャンプツーリングに来た利根川河川敷。今回は場所をちょっとずらして関宿近辺で行う事になりました(故に関宿男子会という名称になった)。自分はスクーターで、あとの二人は自慢の自転車で各々集合する、という事になりました。
■準備
今回は、3人が各々持ってるアウトドアグッズを活かしつつ、飯に関してはそれなりに共用しようという事で、自分はBBQコンロと炭、画家のI月君は飯盒で飯炊き、Uのピー(神様)はBBQに使う食材を持ってくる、という事になりました。
BBQコンロはスクーターの足元、炭は後ろのトランクに入れるとして、野営装備一式はどうするか。どうするかもこうするかも、ラッキーな事にアメリカ海兵隊のリーコン・アサルトパックを入手していたので、テント、シュラフ、マットの基本装備は詰め込み、ストーブはアルストからプリムスのP-153に切り換え(I月君が昔自分が売り飛ばしたオプティマスCRUXを持ってくると思ったので、ガスカートリッジを共通にした)、水はナルゲン・オアシスを装備。またBBQ大会なので折り畳みの椅子もリーコン・アサルトパックに縛着しました。天気予報では雨は降らない予報だったので、ポンチョはオミット。最悪降ってもトランクにレインウェアが入ってるので身体は濡れません(アサルトパックは濡れますが)
食料も他の二人が持ってくるので、自分は4号線のコンビニで厚切りバームクーヘンと麦茶だけ購入。2人は酒飲みですが自分は酒飲まないので甘味が欲しい訳です。
■宿営地変更
関宿城のベンチでごろ寝してると、Uのピー(神様)到着。聞くと風が強くて自転車組は結構大変とか。I月君は集合時間より1時間ほど遅れるとの事です。自転車だと5時間は掛かってるみたいです。取り敢えず到着までに時間があるので、先に野営地を探す事にしました。
予定では関宿城の近辺の河川敷でキャンプするつもりで、またそれっぽい場所も色々あったのですが、問題は自転車やバイクで乗り付けるためには、かなり大回りして来なければならない事。乗り物は関宿城の駐輪場において、荷物担いで河川敷に降りる事も考えたのですが、それはそれでちょっと面倒くさい。アサルトパックに荷物が積み込んである自分は良いですが、自転車にバッグを括り付けてる2人にはちょっと厳しい話しです。
そこで、どっちみち大回りするのなら、一旦道の駅さかいまで移動して、そこからキャンプ地を探そうという事になりました。合流したI月君と一緒に道の駅さかいに移動したあと、Uのピー(神様)が独特の嗅覚で関宿の対岸に降りる河岸道を発見。どこまでも続いている利根川河川敷の道をウロウロしているウチに、ゴルフ場かグライダーの飛行場みたいな芝生のグランドを発見。そこの端っこを男子会会場としました。

キャンプ地を探しに行くに当たって、買ってきた肉をバッグから出す神様
実は神様、キャンプは今回がほぼ初めてですw

奥の赤いのがI月君の轟天号、手前のが神様の流星号
積み込み方の違いに経験の差が現れてます

良い感じに砂利道を走る男子会一同
実はこの先に珍走団の一群がたむろってて、Uターンwww
■失敗続出ww
キャンプ地も無事に決まったところで、早速BBQスタート。いつもなかなか炭に火を着けるのに苦労しますが、ガストーチとゲルネンのお陰で一発点火。イイ感じに火が熾ったところで、さぁ焼くぞーと思ったら網がない。BBQに必要な装備は一式まとめてコンロの箱に入れて置いたはずなのに、ない。これには慌てたのですが、幸い近くにデカいホームセンターがあったので、そこで網を買ってきて貰いました。
さて、食うぞーと思ったら、持って行くはずだったシェラカップを忘れてました。まさか手で受けて食う訳にもいかないので、Uのピー(神様)の飯盒(自分が譲ったもの)の中盒を借りる始末。日頃偉そうな事をいう割には、大事なところで忘れ物しまくりです。
さて、イイ感じにBBQやってるウチに夜が更けて、徐々に寒くなってきました。自分は比較的防寒をしっかりしてたのですが、I月君はなんか寒そう。本人は大丈夫というものの、見てるこっちが寒くなる感じ。ところが、一晩中もつ筈だった炭は予想外に早く底つきかけている。ほとんど新品と思ってたのが、実は半分くらいしか残ってなかったらしい。もっとちゃんと点検しておくべきでした。慌ててホームセンターに走ったものの、もはや営業時間終了。
まぁ、ガスバーナーもあるし、缶入り固形燃料もあるという事で、コケネン使って飯盒で湯を沸かし、カップ焼きそばを食おうとしたら、今度は沸かした飯盒を転かして湯を全部地面にぶちまけてしまいました。なかなか上手い事行きませんw
さて、食うモン食って、燃やすモン燃やして、する事が無くなった頃に、だんだん結露は激しくなってきました。全濡れになる前にテント立てて装備を退避させました。
今回、キャンプはほぼ初めてのUのピー(神様)は、辛うじて銀空マットとキャプテンスタッグの1980円の封筒型シュラフは買ってきましたが、テントは未配備です。本人はテント無しで寝るつもりで、自分らもそのチャレンジャーぶりを楽しみにしてたのですが、予想外に結露が激しい。このままで行くと明け方までにシュラフは全濡れ確定です。本人曰く、もしダメそうだったら途中で助けて貰うと宣ってましたが、夜中に濡れ濡れのシュラフをテントに持ち込まれるのは、ぶっちゃけ迷惑です。
そこで、2人用のエアライズ2を持ってる自分の方に来て貰う事にしました。リーコン・アサルトパックはグランドシートを被せて外に放り出しました。実は、このテントで2人で寝るのは初めてなのですが、まさかその初めてがオッサンだとは思いもよりませんでしたwww
■古墳見てミッションコンプリート
やっとこ明け方になって熟睡できたのですが、「は、は、は、は、は、おはようございます」とまるで怪人二十面相みたいなI月君の笑い声で起こされて起床。気が付いたらお日様は中天に上がってました。地面はすっかり乾いてたのですが(夜中は盛大に濡れていた)、テントのフライシートは結構濡れてましたので、ただちに外してバイクに掛けて干しました。
フライやテントを乾かしてる間に朝食。昨日はBBQやインスタントの焼きそばやラーメンで腹一杯で食えなかった米の飯を炊き(I月君担当)、昨日無駄に多かった豚肉をハサミで脂身を除去して豚汁を作り(神様担当)、意外にそれっぽく出来た朝食を頂きました。ただ、ここで特筆すべきは、豚汁に牛肉を入れてしまうと、訳の分からん味になるので要注意です。
食事のあと、湯を沸かし食器類をざっと洗い、荷物をまとめてパッキング。この辺りは自分もI月君も手慣れたものでした。もちろんゴミも残さず持ち帰りましたが、意外にゴミの量が多かったのは、やはりBBQだったからでしょうか。

朝のキャンプサイト
誰にも邪魔されず、平和に朝を迎えました

包丁やナイフより、文房具のハサミの方が
アウトドアでは意外に役立ちます

得たいの知れない豚汁を調理中
今回、ワタクシは基本的に料理に口出ししませんでした

撤収準備完了
神様の流星号が昨日よりカオスな状態になってます
ところで、前夜に境町の河川敷でキャンプしてるとツイートしたところ、Toyofusaさんから「道の駅さかいの向かいにあるショッピングモールの駐車場に、蓋された古墳がある」と教えて貰いました。せっかくなので帰る前に見学にいきました。
ホームセンターの前にスクーターを駐め、さてどこにあるのかな、と探そうと思ったら、I月君が「たにしさん、ここ、ありましたよ!」と呼び止められました。振り返ってみると、四角形に鉄板敷き詰めて柵をした場所がありました。これがおたま塚古墳でした。柵をするなら蓋は要らないだろうし、蓋があるなら柵はやめて駐車場にしてしまえば良さそうなもんですが、太古の豪族の霊を恐れたんでしょうか。取り敢えず車を駐められない様にしてありました。
おたま塚古墳の直ぐそばには、蓋がされてない鷲塚古墳がありました。といっても、円墳の周りを堤防みたいにコンクリで固めて、駐車場の下に円墳が顔を覗かせてる様な感じ。コチラも柵がありましたが、古墳の姿が見えるだけマシです。もしかしたら、おたま塚古墳も昔はこんな感じだったのかもしれませんが、ゴミとか放り投げられたりして困って鉄板の蓋をしたのかもしれません。
古墳も見たし、じゃあ解散という事で1030時現地解散。帰りも4号線で帰るつもりが、iPhoneの素晴らしい誘導で、国道16号経由6号線で帰る羽目に。お陰で野田の2りんかんで切れかかってた2stオイルを買う事が出来ました。1345時、無事帰宅。帰り着いて昼飯食ったら急に眠くなって、夕方過ぎまで爆睡してました。
2013年03月17日
ゲルネンとは、いわゆるジェル状のアルコール燃料の事で、もっぱらBBQの時の炭熾しの火種として売られてます。まぁ着火剤ですので、これまであまり注目してなかったのですが、この度、米軍がジェル状燃料のUtility Flameなる固形燃料を採用したとの事で、興味が増した訳です。
■日米ゲルネン対決
今回のオフ会場となったのは、さいたま市の秋ヶ瀬公園。アドレスでビューッと行ってきました。ちょこっとした雑木林を抜けたベンチの所でポンチョ張って風よけ作って、地面にシート敷いて会場設営完了。米軍のポンチョって、昔からタープ代わりに使ってましたが、あると便利です。昔持ってた奴は売ってしまったのですが、改めて手に入れたい一品です。
取り敢えず、Utility Flameとゲルネンの見た目の比較。Utility Flameはアルミか何かパッケージでパッケージを開封して中のジェルを出して使うタイプ。ゲルネンはビニールでパッケージされていて、直接火を着けて使います。Utility Flameは専用の風防兼五徳があるのですが、これがペラペラのブリキ板で、一応は上にクッカーを載せれる事になっているのですが、あまり重たい物を載せると潰れそうです。ゲルネンの方には五徳なんぞはそもそも使う目的の物ではないので、エスビットとキャンティーンカップスタンドを用意しました。
とりあえず、エスビットにゲルネンをセットしてみたのですが、これがあつらえたみたいにピッタリです。さっそくキャンティーンカップに水を400mlほど入れて火を着けてみたのですが、これがよく燃える。そりゃまぁ元が着火剤ですから燃えて当然なのですが、ゲルネン1個でアルファ米を戻せる程度のお湯を沸かす事が出来ました。Utility Flameの方も似たような感じで湯を沸かしていましたが、ゲルネンとの違いは煤がカップの底に付く事。エスビットタブみたいな煤で、ウェットティッシュで拭いても粘つく様な煤でした。ゲルネンの方は煤は出ません。
今度はカップ焼きそばのお湯も沸かしたのですが、多少のそよ風など無視してよく燃えていました。この辺りは液体アルコールよりもゲルネンの方が頑張ってるなー感がありました。
■キャンティーンカップスタンド最強伝説
当初、ゲルネンを燃やすと中の燃料が溶け出して燃え広がるんじゃないか、みたいな事を考えていたのですが、そんな事は全然なくて、むしろ燃え滓は収縮して小さくなりました。Utility Flameの方は白い粉っぽい燃え滓になりました。問題は、Utility Flameの方は一回使っただけで風防が焦げてしまい、こりゃ何度も使えるもんじゃないなー、という感じでした。まぁ、見た目からして何度も使うものでもなさそうですが。。。ゲルネンを使ったエスビットの方は何ともありませんでした。
さて、今度はキャンティーンカップスタンドを使ってみました。元々キャンティーンカップスタンドは、昔、米軍で支給していたトリオキサン固形燃料を使うためのスタンドです。そのスタンドにキャンティーンカップをセットして、スタンドの中で固形燃料を燃やす訳です。まったく同じ様にゲルネンをスタンドの中で燃やしました。ただし、アルミホイルを敷いて、その上で燃やすようにしました。
すると、エスビットより囲われてる部分が多いせいか、より風に強く、かつエスビットより空気が入らないせいか、ゆっくり燃える様でした。今度は200mlほどの水を沸かしたのですが、燃料消費はかなり抑えられている様でした。何にしても、キャンティーンカップスタンドが本来あるべき姿で使える、という点ではゲルネンのポイントは非常に高いと思いました。
キャンティーンカップスタンドは、これまでにもトランギアTR-B25の五徳として活用してきた訳ですが、ゲルネンの登場によってますます需要が高まってきました。米軍がUtility Flameをどういう意図で採用したのかよく判りませんが、カップで温め物をするという事であるのなら、キャンティーンとスタンドを再採用した方が良いんじゃないか、みたいな話しをしていました。
■ゲルネンで炊飯
ゲルネンが十分実用に耐える事を確認した上で、自宅に帰ってから飯盒で飯を炊いてみました。キャンティーンカップスタンドの上に飯盒を置いたのですが、この状態だとアルストだと空気の流入が少なくて火が消えてしまうのですが、ゲルネンはしっかり燃えました。しかし、さすがに1個では炊ききれなくて、2個目を投入しました。この種のゲルネンは燃焼中に追加投入すると危険とされているのですが、火が小さくなってからゆっくり入れる分には問題なく追加出来ました。
最大の問題は、燃焼ガスが結構有害だった、という事です。最初は気が付かなかったのですが、2つめを投入して暫くすると、ネコがクシャミをし始め、自分も目がチリチリとしてきました。こりゃヤバイと思って立ち上がって窓を開けようとしたら、部屋の上空はかなり空気が汚染されていて、マジでヤバイ感じでした。アルストやコケネンではこういう事はないですし、エスビットもまぁ臭い部類ではあってもここまで酷くないので、油断していました。ゲルネンは元が屋外で使う着火剤ですので、部屋の中やテントの中で使うのは、よほど換気に気を付けないと無理です。実質的には厳禁です。
その点はとても残念ではありましたが、それでも2個目が消える頃にはしっかり飯が炊けていました。屋外で使うという条件はありますが、着火剤として、また固形燃料として、どちらにも使えるというのは大きなメリットであります。
■ゲルネンはウルトラライトたり得るか?
ゲルネンの大きなポイントは、燃えたら後はちょっとした燃え滓しか残さない、と言う点です。アルストはアルコールストーブやボトルがありますし、コケネンも缶入りだと缶が残ります。その点では、ゲルネンはほとんど残らない訳です。言い換えれば、容器の分だけ軽く安い、と言えます。
そのゲルネンを持ち運ぶ上で心配なのは、何せただのビニールのパッケージですから、潰れたり何かが突き刺さったりして、中身が爆裂する恐れです。もっとも、これはケースに収める事で防止出来ますから、アルストセットのアルストの代わりにゲルネンを入れていけば、キャンティーンカップがケース代わりになります。
値段に関して言えば、缶入り固形燃料よりも安い事になります。平井のホームズでは、ニチネンのトップ缶の250gが348円ですが、これは200gで298円です。キャンティーンカップスタンドは大体600円くらいですが、これは一度買えばずっと使えるますし、何なら空き缶だって良いわけです。その意味で、価格的にもウルトラライトな燃料と言えると思います。
■Utility Flameって何のさ?
さて、米軍が採用したUtility Flameですが、日本のゲルネンと比較して、取り立てて珍しい物でも優れている物でもありませんでした。むしろ昔のトリオキサン燃料の方が、煤も出さずに良いくらいです。この種の燃料を米軍が採用するなら、トリオキサン燃料を再採用した方が良いんじゃないか?という意見で一致しました。
そもそも米軍は、キャンティーンカップとかで温め物をしたりするのか?という部分でも疑問です。よしんばそうしてるとして、Utility Flameのしょぼいブリキの風防では、安心して湯も沸かせません。そこで考えたのは、今、米軍が戦っているアフガニスタンは山岳地帯で、昼夜の寒暖差が大きく、このUtility Flameは暖を取るために採用されたんじゃないか、という事でした。
そこで思い出したのは、自衛隊では頭からポンチョを被って、中で缶入り固形燃料を燃やして暖を取る、という話しです。同じ様な事をこのUtility Flameでやったとして、ゲルネン同様に有害なガスが出たら、目も当てられない事になります。まぁ、何にしてもソリッドタイプのトリオキサン燃料は復活して欲しいものです。

米軍のコケネン進化史
左から、缶入りのウッドアルコール、タブレットタイプのトリオキサン燃料
そして最新のユーティリティ・フレーム

何だかんだで便利なトリオキサン燃料
生産は終了してるみたいで、なかなか手に入りません
■日米ゲルネン対決
今回のオフ会場となったのは、さいたま市の秋ヶ瀬公園。アドレスでビューッと行ってきました。ちょこっとした雑木林を抜けたベンチの所でポンチョ張って風よけ作って、地面にシート敷いて会場設営完了。米軍のポンチョって、昔からタープ代わりに使ってましたが、あると便利です。昔持ってた奴は売ってしまったのですが、改めて手に入れたい一品です。
取り敢えず、Utility Flameとゲルネンの見た目の比較。Utility Flameはアルミか何かパッケージでパッケージを開封して中のジェルを出して使うタイプ。ゲルネンはビニールでパッケージされていて、直接火を着けて使います。Utility Flameは専用の風防兼五徳があるのですが、これがペラペラのブリキ板で、一応は上にクッカーを載せれる事になっているのですが、あまり重たい物を載せると潰れそうです。ゲルネンの方には五徳なんぞはそもそも使う目的の物ではないので、エスビットとキャンティーンカップスタンドを用意しました。
とりあえず、エスビットにゲルネンをセットしてみたのですが、これがあつらえたみたいにピッタリです。さっそくキャンティーンカップに水を400mlほど入れて火を着けてみたのですが、これがよく燃える。そりゃまぁ元が着火剤ですから燃えて当然なのですが、ゲルネン1個でアルファ米を戻せる程度のお湯を沸かす事が出来ました。Utility Flameの方も似たような感じで湯を沸かしていましたが、ゲルネンとの違いは煤がカップの底に付く事。エスビットタブみたいな煤で、ウェットティッシュで拭いても粘つく様な煤でした。ゲルネンの方は煤は出ません。
今度はカップ焼きそばのお湯も沸かしたのですが、多少のそよ風など無視してよく燃えていました。この辺りは液体アルコールよりもゲルネンの方が頑張ってるなー感がありました。
■キャンティーンカップスタンド最強伝説
当初、ゲルネンを燃やすと中の燃料が溶け出して燃え広がるんじゃないか、みたいな事を考えていたのですが、そんな事は全然なくて、むしろ燃え滓は収縮して小さくなりました。Utility Flameの方は白い粉っぽい燃え滓になりました。問題は、Utility Flameの方は一回使っただけで風防が焦げてしまい、こりゃ何度も使えるもんじゃないなー、という感じでした。まぁ、見た目からして何度も使うものでもなさそうですが。。。ゲルネンを使ったエスビットの方は何ともありませんでした。
さて、今度はキャンティーンカップスタンドを使ってみました。元々キャンティーンカップスタンドは、昔、米軍で支給していたトリオキサン固形燃料を使うためのスタンドです。そのスタンドにキャンティーンカップをセットして、スタンドの中で固形燃料を燃やす訳です。まったく同じ様にゲルネンをスタンドの中で燃やしました。ただし、アルミホイルを敷いて、その上で燃やすようにしました。
すると、エスビットより囲われてる部分が多いせいか、より風に強く、かつエスビットより空気が入らないせいか、ゆっくり燃える様でした。今度は200mlほどの水を沸かしたのですが、燃料消費はかなり抑えられている様でした。何にしても、キャンティーンカップスタンドが本来あるべき姿で使える、という点ではゲルネンのポイントは非常に高いと思いました。
キャンティーンカップスタンドは、これまでにもトランギアTR-B25の五徳として活用してきた訳ですが、ゲルネンの登場によってますます需要が高まってきました。米軍がUtility Flameをどういう意図で採用したのかよく判りませんが、カップで温め物をするという事であるのなら、キャンティーンとスタンドを再採用した方が良いんじゃないか、みたいな話しをしていました。
■ゲルネンで炊飯
ゲルネンが十分実用に耐える事を確認した上で、自宅に帰ってから飯盒で飯を炊いてみました。キャンティーンカップスタンドの上に飯盒を置いたのですが、この状態だとアルストだと空気の流入が少なくて火が消えてしまうのですが、ゲルネンはしっかり燃えました。しかし、さすがに1個では炊ききれなくて、2個目を投入しました。この種のゲルネンは燃焼中に追加投入すると危険とされているのですが、火が小さくなってからゆっくり入れる分には問題なく追加出来ました。
最大の問題は、燃焼ガスが結構有害だった、という事です。最初は気が付かなかったのですが、2つめを投入して暫くすると、ネコがクシャミをし始め、自分も目がチリチリとしてきました。こりゃヤバイと思って立ち上がって窓を開けようとしたら、部屋の上空はかなり空気が汚染されていて、マジでヤバイ感じでした。アルストやコケネンではこういう事はないですし、エスビットもまぁ臭い部類ではあってもここまで酷くないので、油断していました。ゲルネンは元が屋外で使う着火剤ですので、部屋の中やテントの中で使うのは、よほど換気に気を付けないと無理です。実質的には厳禁です。
その点はとても残念ではありましたが、それでも2個目が消える頃にはしっかり飯が炊けていました。屋外で使うという条件はありますが、着火剤として、また固形燃料として、どちらにも使えるというのは大きなメリットであります。
■ゲルネンはウルトラライトたり得るか?
ゲルネンの大きなポイントは、燃えたら後はちょっとした燃え滓しか残さない、と言う点です。アルストはアルコールストーブやボトルがありますし、コケネンも缶入りだと缶が残ります。その点では、ゲルネンはほとんど残らない訳です。言い換えれば、容器の分だけ軽く安い、と言えます。
そのゲルネンを持ち運ぶ上で心配なのは、何せただのビニールのパッケージですから、潰れたり何かが突き刺さったりして、中身が爆裂する恐れです。もっとも、これはケースに収める事で防止出来ますから、アルストセットのアルストの代わりにゲルネンを入れていけば、キャンティーンカップがケース代わりになります。
値段に関して言えば、缶入り固形燃料よりも安い事になります。平井のホームズでは、ニチネンのトップ缶の250gが348円ですが、これは200gで298円です。キャンティーンカップスタンドは大体600円くらいですが、これは一度買えばずっと使えるますし、何なら空き缶だって良いわけです。その意味で、価格的にもウルトラライトな燃料と言えると思います。
■Utility Flameって何のさ?
さて、米軍が採用したUtility Flameですが、日本のゲルネンと比較して、取り立てて珍しい物でも優れている物でもありませんでした。むしろ昔のトリオキサン燃料の方が、煤も出さずに良いくらいです。この種の燃料を米軍が採用するなら、トリオキサン燃料を再採用した方が良いんじゃないか?という意見で一致しました。
そもそも米軍は、キャンティーンカップとかで温め物をしたりするのか?という部分でも疑問です。よしんばそうしてるとして、Utility Flameのしょぼいブリキの風防では、安心して湯も沸かせません。そこで考えたのは、今、米軍が戦っているアフガニスタンは山岳地帯で、昼夜の寒暖差が大きく、このUtility Flameは暖を取るために採用されたんじゃないか、という事でした。
そこで思い出したのは、自衛隊では頭からポンチョを被って、中で缶入り固形燃料を燃やして暖を取る、という話しです。同じ様な事をこのUtility Flameでやったとして、ゲルネン同様に有害なガスが出たら、目も当てられない事になります。まぁ、何にしてもソリッドタイプのトリオキサン燃料は復活して欲しいものです。

米軍のコケネン進化史
左から、缶入りのウッドアルコール、タブレットタイプのトリオキサン燃料
そして最新のユーティリティ・フレーム

何だかんだで便利なトリオキサン燃料
生産は終了してるみたいで、なかなか手に入りません
2013年03月10日
前回の龍神山のあと、どっかでキャンプしましょかー、という話しが出て、今回の企画となりました。埼玉県で山登りってのはイマイチ、ピンと来なかったのですが、あまり高い山だとよう登り切らんと思われますので、丘陵地帯の端っこにある低山なら、どうにかやれると踏んだわけです。
ところで、キャンプの荷物を担いで歩いてキャンプ行く、というのは、旧クラフトフェルト時代に有志(といっても、自分とあと一人w)で何回か行った事がありますが、米軍のバックパックがそれなりの形になるまで物を詰め込んで行く主義だったので、荷物がやたら重くて大変だった記憶しかありません。その様な訳で、今回はあまり見栄を張らずに、出来るだけ軽装で行く事にしました。
■準備
軽装といってもキャンプですから、泊まりの用意をせねばなりません。最低限必要なのは、テント、シュラフ、スリーピングマットです。これらはツーリング時代に吟味しまくった奴があるので心配なしです。ストーブ類は、一緒に行くToyofusaさんに合わせてアルストセットにし、予備でプリムスP-153と110ガスカートリッジを持つ事にしました。クッカーは、基本的に湯を沸かせば食べれる物が食事となる関係から、アルストセットとオアシスにセットしたキャンティーンカップ2つで済ませる事にしました。その他は、IFAKポーチからファーストエイドキットだけを抜いて持参。衣類は下着の替えと防寒具&寝間着としてアウトラスト・アンダーウェアを入れました。
食糧は、初日の昼夜、翌日の朝の3食分。昼と朝用にカニヤのネービービスケット10枚と玄麦乾パン10枚、チューブ要りのバター、コンソメスープ、カフェオレ。晩用に辛味棒ラーメンと尾西のアルファ米。行動食として、カロリーメイト8本、チョコレート、ミックスナッツを持ちました。あと、ネタ用にフルーチェ2人分。水は予めオアシスに1リットル入れて持参し、現地のコンビニで500mlのウーロン茶を買って行動中チビチビ飲む事にしました。
被服は、足はマリーンのコヨーテブーツ、下衣はカーゴパンツ、上衣は長袖のアンダーウェアにRsタイチのライディングジャケット。もっとも、気温が高いとの予報でしたので、もっと軽装でも良かったのかもしれませんが、コレ以外に被服が無いので選びようがありません。
さて、装備を要る物だけに切り詰めたまでは良かったのですが、問題はそれを入れるバックパックです。去年入手したILBE アサルトパックには、シュラフ、テント、サーマレストは入れる事が出来ますが、アルストセットやオアシスをパック背面のウェビングに付けたとしても容量不足です。急遽、ILBEのメインパックを取り寄せる事も考えましたが、こちらは75リットルも容量があって、明らかに装備の方が少ない。つまり、パックが大きすぎる。丁度イイのは、40リットルくらいのCorpsman アサルトパックなのですが、入手困難です。
そこで、昔サバゲーに行く時に使っていたモンベルの3ウェイバッグを引っ張り出して使う事にしました。ミリタリー色どころか、アウトドア色もないバッグですが、丁度いい容量で装備がピッタリ収まりました。担いでみたところ、重くないと言えばウソになるけど、何とかなりそうな感じ。まぁ、何とかならなくても、今はこれしかバックパックがないのだから、頑張って歩く事にしました。

取り敢えずパッキングのテスト
テント、シュラフ、スリーピングマットの収納サイズを合わせてあるので
パッキングがとても楽です

今回は乾燥食糧がメインです
玄麦乾パンとクリームチーズはとても合ったのですが
持って行ったのはパッキングしても潰れなさそうな
チューブ入りバターでした
■仙元山縦走
当日は朝0600時に起きて、0700時にはウチを出ました。早めに出て集合場所である東武東上線小川町駅の駅前でソバでも食うたろか、と思ったのですが、現地に着いてみると、普通の駅前にありそうなソバ屋や牛丼屋がない。定食屋っぽいのはあるのですが、1000時ではまだ開いてない。辛うじてローソンがあったので、弁当を買い込んで外で食べました。ところが、弁当を食べてる間に気温はドンドン上がっていき、結局、ライジャケのインナーは外してバックパックに入れ、ライジャケ自体はバックパックの側面に縛着して、長袖シャツだけで歩く事にしました。
Toyofusaさんと合流したあと、さっそく行軍開始。町中を歩いている間は、時々道行く人や自動車を運転してるドライバーの何人かから、珍妙な動物を見る目で見られましたが、山が近づくにつれ誰も見かけなくなりました。今回のミッションの一つに「絶滅危惧種のトウキョウサンショウウオの卵を見る」というのがあって、小川のそれっぽい所を覗き込みながら歩いたのですが、それっぽい物は見つからず。そんじゃという事で、仙元山の頂上目指して行軍を開始しました。
約40リットルのバックパックを背負って山を歩くのはどんなものか、と思っていたのですが、意外に歩ける事を発見しました。まぁ、ガンガンと延々に歩くという感じではなく、登りは適宜休み休み歩いたのですが、そのお陰かあまり息も上がらず思っていたよりは楽に歩く事が出来ました。もっとも、これもこの一年水泳を続けて、それなりに肺活量が増えたお陰かもしれません。
歩き続ける事、約1.5時間。仙元山山頂に辿り着きました。この仙元山は標高298.9m。わずか1.1m足りないだけで300m級に達しなかったちょっと残念な山ですが、手頃な低山にも関わらず高尾山の様な人気スポットではなく、登りに来る人もチラホラ。まぁ、そのお陰で大荷物背負った自分らが浮く様な事もなかったのですが。ときたますれ違う人は、みんな軽装か手ぶらで、キャンプの道具背負って歩いているのは自分らだけでした。
頃合いもちょうど昼過ぎ辺りでしたので、山頂から少し下った所にある屋根付きの展望台で昼食。今回は湯を沸かすだけで食べれる物、という事で、昼はカニヤの玄麦乾パンにチューブ入りバター、オニオンコンソメスープにフライドオニオンを入れて食べました。ストーブはトランギアのTR-B25にキャンティーンカップスタンドでしたが、大して風がなかったので十分使えました。玄麦乾パンは以前は評価が低かったのですが、最近嗜好が変わったのか、ノーマルのカニヤのネービービスケットより美味しく感じます。
昼食のあとはひたすら下山。仙元山は昔はMTBとかで走るのが流行っていたそうで、確かに下りもダウンヒルとかやったら楽しそうです。もっとも、古城跡が国定史跡になってからは自転車もバイクも乗り入れ禁止になったらしいです。登りの時もそうでしたが、このコーナーはどんな風に(CRFで)降りるか、なんて考えてる自分は、なんてバイク脳なんだろうとか思いながら歩いていました。
■オージービーフの夜
下山開始から約1時間で割合という所に辿り着きました。ここの湧き水は美味しいという事で、Toyofusaさんと二人して給水。地元の人も車で乗り付けて、焼酎のペットボトルにガンガン入れてましたから、やっぱり美味しいのでしょう。飲んでみると癖のない冷たい水でした。
ここからは麓の道を歩いて、今夜の野営地である月川荘キャンプ場を目指します。のどかな田舎道をひたすら歩いたのですが、意外にも山道を歩くよりも疲れました。アップダウンがあっても日陰のある山道の方が疲れにくい様です。また足元にも注意しなければならないので、注意力が散漫にならないからかもしれません。約2時間ほど歩いて「ようやく」月川荘キャンプ場に着きました。
事前の調べで、月川荘キャンプ場は都内から近く、自動車で行けて、キャンプもBBQも出来て、と言う風にかなり人気のあるキャンプ場である事が判っていました。もし客がいっぱい居たらどうしますー?みたいな事を言っていたのですが、着いてみるとお客は自分らだけww 従ってどこでも好きなトコにテント張れるので、オーソドックスに芝生のテントサイトに陣取りました。
さっそく幕舎設営。自分のアライテント・エアライズ2は、キャンプで建てるのは6年振りですが、何のとまどいもなくものの15分で設営完了。Toyofusaさんは米軍のCatoma EBNS Rain flyという簡易テントでしたが、やはり手際よく設営完了。まぁ、この辺りはお互い手慣れたものです。
ダベってるウチに暗くなってきたので、飯でも食うか〜という事になりました。当初の予定では、棒ラーメンにアルファ米をぶち込んで食べるつもりをしていたのですが、なんとToyofusaさんが肉持ってきた、というじゃありませんか。しかも、オージービーフ。これはエライこっちゃ〜っと思ったのですが、付き合いの悪い事はしません。アルコールストーブと米軍のメスパンでジュージュー焼きながら、「もちっと焼いた方が美味くないですかー?」とか「終わりら辺になってくると、美味いと感じるから不思議ですねー」などとイイながら、結局、二人で全部食べきってしまいました。
食べるもの食べたら、あとはする事がなくなるのはどんなキャンプでも同じ事で、暇つぶしに焚き火あとに燃え残ってた木っ端に、ファイヤースチールで火付けたり、色々やってましたが、2200時には就寝。外はさすがに寒かったのですが、シュラフの中はヌクヌクでした。もっとも、花粉の爆心地を一日中歩いたせいで、鼻も目も壊滅状態でずっと口で息をしてましたので、口の中がカラカラだなーとか思いつつ、朝を迎えました。
■山王古墳群
朝は0800時に起床。Toyofusaさん曰く、夜中の2時頃に山羊が何かに激突する音とそれに呼応して犬がワンワン鳴きまくり、寝れなかったとの事ですが、幸い自分は全然気が付かず爆睡していたようですw
朝はカニヤのネービービスケットにチューブ入りバター、カフェオレ。例によってアルコールストーブで湯を沸かしたのですが、キャンティーンカップのワイヤーハンドルに火がモロに当たっていた様で、うっかり持って軽く火傷しました。カニヤのネービーは食べ慣れているのですが、玄麦乾パンの方が美味く感じました。またカフェオレより朝はココアの方が良いなぁ。
食べ終わったら直ちに撤収作業。キャンプ場は朝1000時に引き払わねばならりません。食事の前にフライシートをテントから外して干しておいたのですが、陽が陰っていたので結露は乾かず。仕方なしにそのまま畳んでパッキングしました。昨日の引き続きで、花粉にやられてクシャミ連発でしたが、ちゃっちゃとパッキングを済ませて予定通り、1000時にキャンプ場を後にしました。
今日のミッションは、嵐山町の蝶の里公園にあるという古墳を見て回る事。延々アスファルトの道を歩いたのですが、食料、水、燃料のあらかたを消費して背中の荷物が大分軽くなったのか、歩くのは楽でした。ところが、そろそろ蝶の里公園辺りに近いのに、それっぽい標識も何もない。このままじゃ武蔵嵐山駅に着いてしまうぞー、と思った矢先、申し訳程度に備えられた道標を発見。その先に蝶の里公園がありました。
さて、お目当てなのは古墳ですが、公園の案内図はオオムラサキとかの蝶々に関するものばかりで、古墳のコの字も出てこない。ウロウロと探し回ったのですが、Toyofusaさんが「あの盛り上がりが怪しい」というトコに行ってみました。すると、差し渡し10〜20mくらいの木の生えた盛り土がボコボコとありました。どうやら古墳らしいです。写真を撮って回ってると、さらにボコボコと古墳がありました。
あらかた写真を撮り終わったころ、公園の出口にやっとこ、この山王古墳群の案内板が出て来ました。元々は100基近い古墳があったそうですが、今は20基くらいしか残ってないそうです。この近辺の古墳文化の終末点だそうで、結構歴史的価値があるそうですが、現在では蝶々の方が大事な扱いになっていました。
■撤収
蝶の里公園から武蔵嵐山駅までは、ものの20分くらい。途中でファミレスにでも入って飯食いますかー、とか言ってたのですが、ファミレスはおろか定食屋さえない。とうとう駅まで着きましたが、結局駅前にありがちなラーメン屋だけしかありませんでした。もっとも、このラーメン屋さん、結構美味しかったです(オージービーフのあとは何食っても美味いかもしれない)。
あとは電車乗って帰るだけだったのですが、この日、低気圧がどうのこうので煙霧が発生。電車は止まりまくり、走り出しても架線にビニールが引っ掛かったとかでまた止まる。結局、地下鉄に乗り換えて、ウチに着いたのは1700時前でした。この時期にキャンプすると、毎回帰りが遅くなる事件なり事故が起こるのですが、今回も例に漏れませんでした。もっとも、駅に向かっている最中に煙霧が発生してたら、花粉症どころの騒ぎでなかったので、幸いではありましたが。
今回のキャンプでは、米の飯は一切炊かず、基本的に乾燥食糧を活用したのですが、お陰でクッカーはキャンティーンカップ1個で済みました。もっとも、オージービーフはToyofusaさんがメスパンで焼いてくれたのですが。ソロキャンプの装備の中で、クッカーは意外に削りにくいアイテムですので、その場合は食べる物の内容を考えれば、軽量化できるというのがよく判りました。
オージービーフは、「まさか」出てくると思ってなかったのですが、あんだけ食って痛風にならなかったところをみると、意外に健康食品です。あとは、如何に美味しく食べるか、あるいは美味しいと感じれる様になるかですので、今後の取り組みにおいて研究を進めていきたいと思います。
ところで、キャンプの荷物を担いで歩いてキャンプ行く、というのは、旧クラフトフェルト時代に有志(といっても、自分とあと一人w)で何回か行った事がありますが、米軍のバックパックがそれなりの形になるまで物を詰め込んで行く主義だったので、荷物がやたら重くて大変だった記憶しかありません。その様な訳で、今回はあまり見栄を張らずに、出来るだけ軽装で行く事にしました。
■準備
軽装といってもキャンプですから、泊まりの用意をせねばなりません。最低限必要なのは、テント、シュラフ、スリーピングマットです。これらはツーリング時代に吟味しまくった奴があるので心配なしです。ストーブ類は、一緒に行くToyofusaさんに合わせてアルストセットにし、予備でプリムスP-153と110ガスカートリッジを持つ事にしました。クッカーは、基本的に湯を沸かせば食べれる物が食事となる関係から、アルストセットとオアシスにセットしたキャンティーンカップ2つで済ませる事にしました。その他は、IFAKポーチからファーストエイドキットだけを抜いて持参。衣類は下着の替えと防寒具&寝間着としてアウトラスト・アンダーウェアを入れました。
食糧は、初日の昼夜、翌日の朝の3食分。昼と朝用にカニヤのネービービスケット10枚と玄麦乾パン10枚、チューブ要りのバター、コンソメスープ、カフェオレ。晩用に辛味棒ラーメンと尾西のアルファ米。行動食として、カロリーメイト8本、チョコレート、ミックスナッツを持ちました。あと、ネタ用にフルーチェ2人分。水は予めオアシスに1リットル入れて持参し、現地のコンビニで500mlのウーロン茶を買って行動中チビチビ飲む事にしました。
被服は、足はマリーンのコヨーテブーツ、下衣はカーゴパンツ、上衣は長袖のアンダーウェアにRsタイチのライディングジャケット。もっとも、気温が高いとの予報でしたので、もっと軽装でも良かったのかもしれませんが、コレ以外に被服が無いので選びようがありません。
さて、装備を要る物だけに切り詰めたまでは良かったのですが、問題はそれを入れるバックパックです。去年入手したILBE アサルトパックには、シュラフ、テント、サーマレストは入れる事が出来ますが、アルストセットやオアシスをパック背面のウェビングに付けたとしても容量不足です。急遽、ILBEのメインパックを取り寄せる事も考えましたが、こちらは75リットルも容量があって、明らかに装備の方が少ない。つまり、パックが大きすぎる。丁度イイのは、40リットルくらいのCorpsman アサルトパックなのですが、入手困難です。
そこで、昔サバゲーに行く時に使っていたモンベルの3ウェイバッグを引っ張り出して使う事にしました。ミリタリー色どころか、アウトドア色もないバッグですが、丁度いい容量で装備がピッタリ収まりました。担いでみたところ、重くないと言えばウソになるけど、何とかなりそうな感じ。まぁ、何とかならなくても、今はこれしかバックパックがないのだから、頑張って歩く事にしました。

取り敢えずパッキングのテスト
テント、シュラフ、スリーピングマットの収納サイズを合わせてあるので
パッキングがとても楽です

今回は乾燥食糧がメインです
玄麦乾パンとクリームチーズはとても合ったのですが
持って行ったのはパッキングしても潰れなさそうな
チューブ入りバターでした
■仙元山縦走
当日は朝0600時に起きて、0700時にはウチを出ました。早めに出て集合場所である東武東上線小川町駅の駅前でソバでも食うたろか、と思ったのですが、現地に着いてみると、普通の駅前にありそうなソバ屋や牛丼屋がない。定食屋っぽいのはあるのですが、1000時ではまだ開いてない。辛うじてローソンがあったので、弁当を買い込んで外で食べました。ところが、弁当を食べてる間に気温はドンドン上がっていき、結局、ライジャケのインナーは外してバックパックに入れ、ライジャケ自体はバックパックの側面に縛着して、長袖シャツだけで歩く事にしました。
Toyofusaさんと合流したあと、さっそく行軍開始。町中を歩いている間は、時々道行く人や自動車を運転してるドライバーの何人かから、珍妙な動物を見る目で見られましたが、山が近づくにつれ誰も見かけなくなりました。今回のミッションの一つに「絶滅危惧種のトウキョウサンショウウオの卵を見る」というのがあって、小川のそれっぽい所を覗き込みながら歩いたのですが、それっぽい物は見つからず。そんじゃという事で、仙元山の頂上目指して行軍を開始しました。
約40リットルのバックパックを背負って山を歩くのはどんなものか、と思っていたのですが、意外に歩ける事を発見しました。まぁ、ガンガンと延々に歩くという感じではなく、登りは適宜休み休み歩いたのですが、そのお陰かあまり息も上がらず思っていたよりは楽に歩く事が出来ました。もっとも、これもこの一年水泳を続けて、それなりに肺活量が増えたお陰かもしれません。
歩き続ける事、約1.5時間。仙元山山頂に辿り着きました。この仙元山は標高298.9m。わずか1.1m足りないだけで300m級に達しなかったちょっと残念な山ですが、手頃な低山にも関わらず高尾山の様な人気スポットではなく、登りに来る人もチラホラ。まぁ、そのお陰で大荷物背負った自分らが浮く様な事もなかったのですが。ときたますれ違う人は、みんな軽装か手ぶらで、キャンプの道具背負って歩いているのは自分らだけでした。
頃合いもちょうど昼過ぎ辺りでしたので、山頂から少し下った所にある屋根付きの展望台で昼食。今回は湯を沸かすだけで食べれる物、という事で、昼はカニヤの玄麦乾パンにチューブ入りバター、オニオンコンソメスープにフライドオニオンを入れて食べました。ストーブはトランギアのTR-B25にキャンティーンカップスタンドでしたが、大して風がなかったので十分使えました。玄麦乾パンは以前は評価が低かったのですが、最近嗜好が変わったのか、ノーマルのカニヤのネービービスケットより美味しく感じます。
昼食のあとはひたすら下山。仙元山は昔はMTBとかで走るのが流行っていたそうで、確かに下りもダウンヒルとかやったら楽しそうです。もっとも、古城跡が国定史跡になってからは自転車もバイクも乗り入れ禁止になったらしいです。登りの時もそうでしたが、このコーナーはどんな風に(CRFで)降りるか、なんて考えてる自分は、なんてバイク脳なんだろうとか思いながら歩いていました。
■オージービーフの夜
下山開始から約1時間で割合という所に辿り着きました。ここの湧き水は美味しいという事で、Toyofusaさんと二人して給水。地元の人も車で乗り付けて、焼酎のペットボトルにガンガン入れてましたから、やっぱり美味しいのでしょう。飲んでみると癖のない冷たい水でした。
ここからは麓の道を歩いて、今夜の野営地である月川荘キャンプ場を目指します。のどかな田舎道をひたすら歩いたのですが、意外にも山道を歩くよりも疲れました。アップダウンがあっても日陰のある山道の方が疲れにくい様です。また足元にも注意しなければならないので、注意力が散漫にならないからかもしれません。約2時間ほど歩いて「ようやく」月川荘キャンプ場に着きました。
事前の調べで、月川荘キャンプ場は都内から近く、自動車で行けて、キャンプもBBQも出来て、と言う風にかなり人気のあるキャンプ場である事が判っていました。もし客がいっぱい居たらどうしますー?みたいな事を言っていたのですが、着いてみるとお客は自分らだけww 従ってどこでも好きなトコにテント張れるので、オーソドックスに芝生のテントサイトに陣取りました。
さっそく幕舎設営。自分のアライテント・エアライズ2は、キャンプで建てるのは6年振りですが、何のとまどいもなくものの15分で設営完了。Toyofusaさんは米軍のCatoma EBNS Rain flyという簡易テントでしたが、やはり手際よく設営完了。まぁ、この辺りはお互い手慣れたものです。
ダベってるウチに暗くなってきたので、飯でも食うか〜という事になりました。当初の予定では、棒ラーメンにアルファ米をぶち込んで食べるつもりをしていたのですが、なんとToyofusaさんが肉持ってきた、というじゃありませんか。しかも、オージービーフ。これはエライこっちゃ〜っと思ったのですが、付き合いの悪い事はしません。アルコールストーブと米軍のメスパンでジュージュー焼きながら、「もちっと焼いた方が美味くないですかー?」とか「終わりら辺になってくると、美味いと感じるから不思議ですねー」などとイイながら、結局、二人で全部食べきってしまいました。
食べるもの食べたら、あとはする事がなくなるのはどんなキャンプでも同じ事で、暇つぶしに焚き火あとに燃え残ってた木っ端に、ファイヤースチールで火付けたり、色々やってましたが、2200時には就寝。外はさすがに寒かったのですが、シュラフの中はヌクヌクでした。もっとも、花粉の爆心地を一日中歩いたせいで、鼻も目も壊滅状態でずっと口で息をしてましたので、口の中がカラカラだなーとか思いつつ、朝を迎えました。
■山王古墳群
朝は0800時に起床。Toyofusaさん曰く、夜中の2時頃に山羊が何かに激突する音とそれに呼応して犬がワンワン鳴きまくり、寝れなかったとの事ですが、幸い自分は全然気が付かず爆睡していたようですw
朝はカニヤのネービービスケットにチューブ入りバター、カフェオレ。例によってアルコールストーブで湯を沸かしたのですが、キャンティーンカップのワイヤーハンドルに火がモロに当たっていた様で、うっかり持って軽く火傷しました。カニヤのネービーは食べ慣れているのですが、玄麦乾パンの方が美味く感じました。またカフェオレより朝はココアの方が良いなぁ。
食べ終わったら直ちに撤収作業。キャンプ場は朝1000時に引き払わねばならりません。食事の前にフライシートをテントから外して干しておいたのですが、陽が陰っていたので結露は乾かず。仕方なしにそのまま畳んでパッキングしました。昨日の引き続きで、花粉にやられてクシャミ連発でしたが、ちゃっちゃとパッキングを済ませて予定通り、1000時にキャンプ場を後にしました。
今日のミッションは、嵐山町の蝶の里公園にあるという古墳を見て回る事。延々アスファルトの道を歩いたのですが、食料、水、燃料のあらかたを消費して背中の荷物が大分軽くなったのか、歩くのは楽でした。ところが、そろそろ蝶の里公園辺りに近いのに、それっぽい標識も何もない。このままじゃ武蔵嵐山駅に着いてしまうぞー、と思った矢先、申し訳程度に備えられた道標を発見。その先に蝶の里公園がありました。
さて、お目当てなのは古墳ですが、公園の案内図はオオムラサキとかの蝶々に関するものばかりで、古墳のコの字も出てこない。ウロウロと探し回ったのですが、Toyofusaさんが「あの盛り上がりが怪しい」というトコに行ってみました。すると、差し渡し10〜20mくらいの木の生えた盛り土がボコボコとありました。どうやら古墳らしいです。写真を撮って回ってると、さらにボコボコと古墳がありました。
あらかた写真を撮り終わったころ、公園の出口にやっとこ、この山王古墳群の案内板が出て来ました。元々は100基近い古墳があったそうですが、今は20基くらいしか残ってないそうです。この近辺の古墳文化の終末点だそうで、結構歴史的価値があるそうですが、現在では蝶々の方が大事な扱いになっていました。
■撤収
蝶の里公園から武蔵嵐山駅までは、ものの20分くらい。途中でファミレスにでも入って飯食いますかー、とか言ってたのですが、ファミレスはおろか定食屋さえない。とうとう駅まで着きましたが、結局駅前にありがちなラーメン屋だけしかありませんでした。もっとも、このラーメン屋さん、結構美味しかったです(オージービーフのあとは何食っても美味いかもしれない)。
あとは電車乗って帰るだけだったのですが、この日、低気圧がどうのこうので煙霧が発生。電車は止まりまくり、走り出しても架線にビニールが引っ掛かったとかでまた止まる。結局、地下鉄に乗り換えて、ウチに着いたのは1700時前でした。この時期にキャンプすると、毎回帰りが遅くなる事件なり事故が起こるのですが、今回も例に漏れませんでした。もっとも、駅に向かっている最中に煙霧が発生してたら、花粉症どころの騒ぎでなかったので、幸いではありましたが。
今回のキャンプでは、米の飯は一切炊かず、基本的に乾燥食糧を活用したのですが、お陰でクッカーはキャンティーンカップ1個で済みました。もっとも、オージービーフはToyofusaさんがメスパンで焼いてくれたのですが。ソロキャンプの装備の中で、クッカーは意外に削りにくいアイテムですので、その場合は食べる物の内容を考えれば、軽量化できるというのがよく判りました。
オージービーフは、「まさか」出てくると思ってなかったのですが、あんだけ食って痛風にならなかったところをみると、意外に健康食品です。あとは、如何に美味しく食べるか、あるいは美味しいと感じれる様になるかですので、今後の取り組みにおいて研究を進めていきたいと思います。