基本的に自分が購入対象にしているのは、戦後に作られた飯盒なのですが、今回、程度の良さそうな旧型飯盒が出品されていましたので、落札しました。しかし、これがなかなかどうして、日本の物作りの原点に触れる一品でありました。


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左は未使用のデッドストック、右はちょっと使って底が焦げたやつ
本当ならデッドストックの方を残すのですが
焦げた奴の方が比較的出来が良かったので
そちらを残す事にしました




■びっくりする出来栄え

   出品時から、この飯盒には刻印がなく、軍に卸した物ではない事。ただし、軍の制式を外れた後も民間で製造された物があるので、おそらく民生品であろうと予想していました。まぁ、ここまで塗装が残っている旧型飯盒はあまりないので、色見本としても良いかと思って取り寄せました。
   が!来てみた物を見てビックリ! 釣り手が耳金のリベッドに当たってコジコジで動かない。というかプレスが猛烈にヘタで筋が残ってたり、ヘタしたら波打ってる部分がある。縁の折り返しがいい加減で、かつ金バサミでいい加減に切りましたと言わんばかりの切り口になっている。蓋がガタガタ。塗装もいい加減で、垂れたりはみ出てたり、ムラがあったり。とにかく、東独の飯盒どころか、今の中華コピーの飯盒よりも出来が悪い。とにかく、形だけは似せました的な出来栄えです。
   特にデッドストックの方は出来が悪く、とてもじゃないが売り物にならないんじゃないかレベル。普段使いするつもりはないので、本来なら未使用品の方を手元に残すのですが、底が焦げてる方は、まだしも使えるギリギリのレベルだったので、そっちを残す事にしました。

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一所懸命、焦げを落とそうとした努力の跡が伺えます
地金の色合いから、アルマイト加工はされてない様です

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左のロ号飯盒のコピーである、キャプテンスタッグの飯盒との比較
明治期に開発された旧型飯盒の方が少し小振りです


■ともあれ使ってみる

   どんな物であれ、とりあえず一度は使ってみるのが自分のポリシーですので、早速飯を炊いてみる事にしました。問題は、一体どのくらい長い間、倉だか押し入れだかに入っていたのか分りませんが、飯盒の中が若干コショウっぽい臭いがしてました。なんでコショウなのか分りませんが、塗装が落ちない程度に洗剤で洗ってから使用しました。
   まずは、掛子の容量がいくらなのか調べてみたのですが、すり切り一杯で300g、つまり2合分の米が入りました。この辺りは使用書の通りに作ってあるのかなー、と感心したのですが、後で軍に卸したものと比較した時、量目が多い事に気が付きました。まぁ、ロゴスの飯盒よりも谷口金属の飯盒の掛子の方が深さがあって量が多かった、なんて事もありましたので、この辺り、いい加減なのかもしれません。飯盒の出来栄えを考えたら、いい加減に作ったのかもしれません。
   ともかく、底に穴が開いている訳でもなく、炊くのは普通に炊けました。ただ、蓋がガタガタで隙間が多いので、盛大に湯気を吹いてました。もしかすると、寒冷地や高地では不利かもしれません。

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掛子には300gの米が入りました
ただ、後述する大阪造兵廠製のは280gだそうで
いい加減に作った可能性が高いです

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前の持ち主は、どうやら七厘などで炭火で使ったみたいです
焚き火の場合は、煤が飯盒の胴体にもつくのですが
これは底とその少し上までしか煤が付いてませんでした

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炊いてる最中は、湯気がコショウっぽい臭いをしてましたが
そのせいか、焦げが半分くらい落ちました
落ちた焦げはもちろん、飯にくっついてたのですが(爆)



■大阪造兵廠製との比較

   旧型飯盒は、開発以来、ドイツより輸入した工作機械を用いて大阪造兵廠で製造されており、徳川慶喜公が大政奉還以来、初めて大阪城に来て、その脇の砲兵工廠を見学して、大砲そっちのけで飯盒に興味を示して、さらにはアルミニウムの人体に及ぼす影響がまだ未知と言われて、銀塊送ってマイ飯盒作らせた、というエピソードの時に見た飯盒というのが、この旧型飯盒だったのです。
   その旧型飯盒の明治43年検品の物と、この民生品旧型飯盒を比較してみたのですが、その出来栄えは雲泥の差でした。軍用の物は、非常にかっちりした造りで、アルミ板の厚みもあり、縁の折り返しも細めで丁寧、不必要にガタツクところがなく、非常に丁寧な造りです。明治43年は西暦で言えば1910年、今から106年前の製品ですが、今でも十分実用に耐え得るクォリティを持っています。
   ちなみに、この旧型飯盒の耐用年数は20年だったそうで、1930年すなわち昭和5年頃に民間に払い下げがされた様です。また、この頃には、新型の飯盒が開発されたり、それに伴って旧型の飯盒も民間で製造されたり、色々動きがあった様なのですが、今回自分が手に入れたのは、その頃に民間で作られた製品ではなかろうか、と思われます。

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左が明治43年製の大阪造兵廠の飯盒
見るからに出来栄えが良いです

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蓋の縁の折り返しの部分
大阪製のは細く丁寧ですが、民生品の方が実にいい加減で隙間開いてます

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恐るべきは掛子の縁の折り返しで
民生品の方は、缶切りで開けたみたいな出来栄えです

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上の大阪製のは、民生品の掛子より薄いです
恐らく、大阪のが正解の量目だと思います

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アルミの厚みが大阪の方が厚く
そのため、非常にかっちりした造りになってるのに対して
民生品の方はちょっと力入れたら、歪みそうです

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大阪製のは、蓋と本体に隙間がありませんが
民生品のは、隙間だらけでガタガタです

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耳金の形状の違い。民生品は大きくガサツです
軍に卸したものでも民間工場で製造した物は
耳金が大きい物があって、やはり釣り手が引っかかって回りにくいとか

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革通しの位置
民生品の位置では、背嚢のストラップを通すのが大変です

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というか、革通しの隙間が狭くて
まずストラップが通りません


   昔の日本製品は「安かろう悪かろう」といって、とにかく粗悪品の代名詞であった訳ですが、まさにその時代の製品だった様です。しかし、それより20年も昔であっても、ドイツから機械と技術を取り寄せて作った製品は、100年も持つ高いクォリティを持っています。
   察するに、工業の黎明期にあっては、ミリタリーイシューはその国のトップレベルの技術力が使われており、民間企業にはまだまだ技術が伴わなかった、という事なのでしょう。日本製品が世界に覇を競える様になるのは、戦後にシステム工学が導入され、模倣品を脱した後からです。この民生品旧型飯盒は、それを遡る日本製品の始祖の一つなんだろうな、と感じました。