自分の郷里、京都府長岡京市は、平安京が造られる10年ほど前に置かれた長岡京にちなんだ名前の街で、昔から地面掘れば何か出てくる、歴史豊かな街です。東京や京都以前に都があった、という事で、小学校あがってその事を習うと、なにかしら自慢げな気分になったものですが、実は大内裏は上の向日市にあったという事を知ってショック受けたりする街です。
ともかく、地面の上に残っている古墳を今回は攻略する事にし、ついでに小中高と自転車で走ってた街々を追体験する事にしました。
さて、地図とiPhoneのマップを頼りに自宅からキコキコ自転車を漕ぐこと、約30分。小学校の隣に恵解山古墳はありました。というか、フェンスの内側に案内板が立っていて、スクーターや自動車なら見落としてしまうところでした。隣はテニスコートで、お年寄りがパコンパコンと暑い中テニスを興じていました。入口らしき物があったので入ってみると行き着いた先は墓地で、墓の上に墓場があるといったシュールな感じになってました。石室とか入れないかなーと思って探してみたのですが入れそうにないので、古墳の外に出て脇道に出てみると、古墳の全貌を見渡す事が出来ました。恵解山古墳は前方後円墳なのですが、円墳の部分が竹藪&墓地、方墳の方は更地っぽくなってました。
フェンスの向こう側に苔むして立ってたので
うっかり見落とすところでした
今では大分地形が変わっていますが、周濠まである立派な古墳です
こちらは後円部
びっしり竹が植わっていて、墓地まであります
これが前方部
元々竹が生えてないのか、真っ平らです
住宅地のど真ん中にある割には、キレイに公園になっているお陰で、長岡京市で一番キレイな古墳だと思います。一体、どこのどういう族長が眠っているのか判りませんが、古墳が市民の憩いの場や子供達の公園になってる図というのは、何だかイイもんだな、と感じました。
長岡京市埋蔵文化財センターには、市内の古墳はもちろん、石器時代から長岡京時代の発掘物が展示されていて、土日祝日は午前10時から、平日はなんと午前8時30分から展示を閲覧する事が出来ます。しかし行ってみると、御用の方はドア横のブザーを押して下さい、と書いてある。要するに、そうそう人がいつも見に来る訳ではなく、誰か来た時だけ開けますよ、という事の様です。もちろんブザーを押したら、直ぐに開けてくれました。
展示はこじんまりしているものの、結構見応えがあって、埴輪だの石器だの土師器だの須恵器だの、出土した遺物が様々展示されています。入口でくれたパンフレットも、良くまとまっていて読みやすいものでした。
埋文センターには、塚本古墳から出土した埴輪が沢山展示してあったので、それなりに規模の大きな古墳だったに違いないと思うのですが、さすがに長岡京市の中心地では削平されてしまう運命を免れなかったのでしょう。長岡京を造成するにあたっても、大量の古墳が破壊された事が発掘調査で判っているので、今生きている人優先の破壊は、仕方ない事です。それにしても、案内板一つないのは残念な事ですが。
この古墳は、まさに自分の通学路に面したところにあるのですが、当時は全然古墳だと思わなくて、田んぼだった所に長いことブルーシート被ってたのだけ覚えています。問題は、この近辺の風景が自分が通学していた時と一変していて、学校に向かう乙訓寺と第三小の脇道の入口さえ見つけるのが大変だった事です。今は4車線の今里大通りとなっている道路も、自分が通学してた時は対抗2車線の細い道でした。
仕方なく今里大通りの歩道をウロウロしていたら、偶然、案内板を見つける事が出来ました。案内板によると、方墳と円墳の間を今里通りが走っていたみたいで、今は地面の下にある様でした。この古墳も在りし日には74mの大きな古墳だった様です。
昔は2車線しか無かったんですがww
バス停はこんな感じでした
今里車塚古墳の案内板
真ん中の道路が今里通り(現今里大通り)
円墳の脇道を通って、中学に通ってました
といっても、まさか古墳の脇を歩いてると思ってませんでしたがw
ダメ元でグルグル辺りを探してみると、ありました! なんと駐車場のど真ん中に残っていました。残っているのは六号墳で、非常に小さな古墳です。古墳を中心に駐車場がある様な感じです。古墳がなかったらもっと車駐めれそうなものですが、条例で残さざるを得ないのか、あるいは秘かに観光資源になっているのか、とにかく残っていました。
感動して写真を撮っていると、「何か用?」といぶかしげな表情で声を掛けてきた人がいました。「古墳撮影してるんですけど」というと、表情が和らいで「あぁ、古墳ね」といって引き上げられました。意外に写真撮りに来る人がいるのかもしれません。
やはりあると思しき場所に着いても、それらしいものは見つからないなー、と思っていたら、おもむろに案内板が見つかりました。案内板の裏は駐車場とプレハブの展示店らしき物があって、とても古墳がある様に思えなかったのですが、その奥の竹藪が古墳だったのです。道路から見ると、どこにでもある竹藪にしか見えなくて、まさか古墳だとは思いませんでした。
しかし、古墳と言えども私有地らしくて、立ち入り禁止の看板があったり、入り口に竹でバッテンしてあったりして、見るからにタダの竹藪です(長岡京市は竹の産地で、山の方に行けばそうした竹藪は一杯ある)。しかし、そうした竹藪だったからこそ、古墳が残っていたのかもしれません。
先にも述べた様に、車塚と名の付く古墳は前方後円墳なんだそうですが、外から見る分にはそうした形をしてる様には見えませんでした。というか、竹藪の中に古墳があるという感じで、もし発掘調査とかしてなかったら見落としそうです。恐らく、ここも私有地なんじゃないかと思います。まだまだ未調査の古墳らしいので、今後の調査結果が楽しみです。
長い間、自分の足で動く乗り物を使ってこなかったのですが、今回久しぶりに自転車に乗って、この種のイベントなら、自転車もまた便利な乗り物だという事を認識しました。これが車やバイク、スクーターであったとしても、古墳や案内板を見落としてしまっていたでしょうし、道を間違えたり、地図を確認したりするのにも、イチイチ止める場所に気を使わされていたでしょう。変速機なしのオンボロ自転車でも、十分楽しめる企画でした。
今回廻った古墳は7つ。昭和57年製の地図には12個載っていますから、あと半分残っている事になります。是非とも第2回で完全制覇を目指したいと思います。
■動機
さて、そんな歴史的に恵まれた街に住んでいながら、というか、住んでいるからこそか、実はあまりそうした歴史的な事物に興味がなくて、帰省しても時たま京都市内に遊びに行くか、あとは実家でウダウダ昼寝して過ごす事が多かったのです。ところが先日、第1回固形燃料オフ“コケネン2012”で、シュヴァルツ!のヒューゲル連隊長殿と再会し、何タラかんたら話しをしているウチに、「そうだ、ウチの街にはよう考えたら古墳ぎょーさんあったはずやん」という事に気が付きました。
思い立ったが吉日、善は急げです。天気も良い事だし、古墳巡りをしよう、という事になりました。ちょこっとその話しを両親にしたら、新聞やチラシの切り抜きや古い地図やらが、出てくる出てくる。ともかく全部引き取って、昭和57年製(自分が中学2年の時の物)を抜き取って、じっくり眺めてみると、地図に載ってるだけでも全市で12箇所、古墳がある事が判りました。iPhoneで長岡京市埋蔵文化財センターのサイトを見てみると、もっといっぱい古墳があった様ですが、大半は宅地化されている様でした。ともかく、地面の上に残っている古墳を今回は攻略する事にし、ついでに小中高と自転車で走ってた街々を追体験する事にしました。
■恵解山古墳
まず一等最初に訪れたのが、鉄剣が沢山出て有名になった恵解山古墳(いげのやまこふん)。サイズは現存してる部分で110m、もともとは124mくらいあったんじゃないかと言われている、長岡京市最大の古墳です。とはいえ、自分が住んでた頃には、通ってた学校と正反対の方角にあったせいか全然知らなくて、高校に上がったくらいの時におぼろげに名前を聞いた様な事があるなー、という感じでした。面積にして東京都北区くらいの小さな街なのですが、通ってる学校区から外れた場所には用事がないので、行った事もありませんでした。さて、地図とiPhoneのマップを頼りに自宅からキコキコ自転車を漕ぐこと、約30分。小学校の隣に恵解山古墳はありました。というか、フェンスの内側に案内板が立っていて、スクーターや自動車なら見落としてしまうところでした。隣はテニスコートで、お年寄りがパコンパコンと暑い中テニスを興じていました。入口らしき物があったので入ってみると行き着いた先は墓地で、墓の上に墓場があるといったシュールな感じになってました。石室とか入れないかなーと思って探してみたのですが入れそうにないので、古墳の外に出て脇道に出てみると、古墳の全貌を見渡す事が出来ました。恵解山古墳は前方後円墳なのですが、円墳の部分が竹藪&墓地、方墳の方は更地っぽくなってました。
フェンスの向こう側に苔むして立ってたので
うっかり見落とすところでした
今では大分地形が変わっていますが、周濠まである立派な古墳です
こちらは後円部
びっしり竹が植わっていて、墓地まであります
これが前方部
元々竹が生えてないのか、真っ平らです
■今里大塚古墳
次に向かったのが、長岡天満宮の近くにある今里大塚古墳(いまざとおおつかこふん)。ここには小学校の頃に行った事がありますが、長岡第六小学校のテリトリーなので遊び場にした事はありませんでした(自分は長七小児童)。昔は柵なんかなくて、古墳の上登ったり、石室も覗けた様な気がしましたが、今は立派な公園になっていて、柵もしてあって中に入る事は出来ません。サイズは45mの円墳ですが、前方後円墳だった可能性もあるそうです。住宅地のど真ん中にある割には、キレイに公園になっているお陰で、長岡京市で一番キレイな古墳だと思います。一体、どこのどういう族長が眠っているのか判りませんが、古墳が市民の憩いの場や子供達の公園になってる図というのは、何だかイイもんだな、と感じました。
■長岡京市埋蔵文化財センター
長岡天満宮の西、奥海印寺に埋蔵文化財センターがあります。せっかくですから行ってみる事にしました。奥海印寺の坂は結構きつくて、変速機のないアルゼンチナ号に乗ったまま上がるのは大変で、地元のおばちゃんにならって押して上がりました。長岡京市埋蔵文化財センターには、市内の古墳はもちろん、石器時代から長岡京時代の発掘物が展示されていて、土日祝日は午前10時から、平日はなんと午前8時30分から展示を閲覧する事が出来ます。しかし行ってみると、御用の方はドア横のブザーを押して下さい、と書いてある。要するに、そうそう人がいつも見に来る訳ではなく、誰か来た時だけ開けますよ、という事の様です。もちろんブザーを押したら、直ぐに開けてくれました。
展示はこじんまりしているものの、結構見応えがあって、埴輪だの石器だの土師器だの須恵器だの、出土した遺物が様々展示されています。入口でくれたパンフレットも、良くまとまっていて読みやすいものでした。
■塚本古墳
埋文センターを後にして、西友でアイスなど食べたあとに向かったのが、神足小学校の近くの塚本古墳(つかもとこふん)。この古墳は、埋文センターで貰った地図でも、府道210号線の真下にある様な感じで、今は影も形もない可能性が大でした。しかし、碑文なり案内板くらいはあるだろう、と思って附近を探したのですが、それらしい形跡はまったくありませんでした。埋文センターには、塚本古墳から出土した埴輪が沢山展示してあったので、それなりに規模の大きな古墳だったに違いないと思うのですが、さすがに長岡京市の中心地では削平されてしまう運命を免れなかったのでしょう。長岡京を造成するにあたっても、大量の古墳が破壊された事が発掘調査で判っているので、今生きている人優先の破壊は、仕方ない事です。それにしても、案内板一つないのは残念な事ですが。
■今里車塚古墳
一旦昼食とiPhoneの充電のために帰宅し、午後から向かったのは、自分の母校である長岡第二中学校方面。まずは今里車塚古墳(いまざとくるまづかこふん)。車塚というのは前方後円墳の事で、この後にもその名を冠した古墳が出て来ます。この古墳は、まさに自分の通学路に面したところにあるのですが、当時は全然古墳だと思わなくて、田んぼだった所に長いことブルーシート被ってたのだけ覚えています。問題は、この近辺の風景が自分が通学していた時と一変していて、学校に向かう乙訓寺と第三小の脇道の入口さえ見つけるのが大変だった事です。今は4車線の今里大通りとなっている道路も、自分が通学してた時は対抗2車線の細い道でした。
仕方なく今里大通りの歩道をウロウロしていたら、偶然、案内板を見つける事が出来ました。案内板によると、方墳と円墳の間を今里通りが走っていたみたいで、今は地面の下にある様でした。この古墳も在りし日には74mの大きな古墳だった様です。
昔は2車線しか無かったんですがww
バス停はこんな感じでした
今里車塚古墳の案内板
真ん中の道路が今里通り(現今里大通り)
円墳の脇道を通って、中学に通ってました
といっても、まさか古墳の脇を歩いてると思ってませんでしたがw
■長法寺七ツ塚古墳群
次に向かったのが、長法寺七ツ塚古墳群(ちょうほうじななつづかこふんぐん)。この古墳も見つけるのに難儀しました。というのは、小学校に見に行った時は、この古墳の周りは野ツボまである田んぼだったのに、今は全部宅地になっていて、場所が特定しかねたからです。自分が行った時にも、7つある筈の古墳は1つしか残っていなかったので、もしかしたら壊されているかもしれません。ダメ元でグルグル辺りを探してみると、ありました! なんと駐車場のど真ん中に残っていました。残っているのは六号墳で、非常に小さな古墳です。古墳を中心に駐車場がある様な感じです。古墳がなかったらもっと車駐めれそうなものですが、条例で残さざるを得ないのか、あるいは秘かに観光資源になっているのか、とにかく残っていました。
感動して写真を撮っていると、「何か用?」といぶかしげな表情で声を掛けてきた人がいました。「古墳撮影してるんですけど」というと、表情が和らいで「あぁ、古墳ね」といって引き上げられました。意外に写真撮りに来る人がいるのかもしれません。
■井ノ内稲荷塚古墳
次に向かったのが井ノ内稲荷塚古墳(いのうちいなりづかこふん)。この古墳は、iPhoneのマップで航空写真を見た時、雑木林とグランドしか見えず、これまた壊されて無くなっているんじゃないか、と思った古墳です。取り敢えず現地に行ってみて、案内板でも見つかれば良し、という風に考えて出向きました。やはりあると思しき場所に着いても、それらしいものは見つからないなー、と思っていたら、おもむろに案内板が見つかりました。案内板の裏は駐車場とプレハブの展示店らしき物があって、とても古墳がある様に思えなかったのですが、その奥の竹藪が古墳だったのです。道路から見ると、どこにでもある竹藪にしか見えなくて、まさか古墳だとは思いませんでした。
しかし、古墳と言えども私有地らしくて、立ち入り禁止の看板があったり、入り口に竹でバッテンしてあったりして、見るからにタダの竹藪です(長岡京市は竹の産地で、山の方に行けばそうした竹藪は一杯ある)。しかし、そうした竹藪だったからこそ、古墳が残っていたのかもしれません。
■井ノ内車塚古墳
最後に向かったのが、長岡京市の北の外れにある、井ノ内車塚古墳(いのうちくるまづかこふん)。いかにも乙訓〜といった感じの、竹藪の中の小径を進んでいくと、いきなり竹藪の中にありました。しかも、発掘調査中ww さっきの埋蔵文化財センターの人が、櫓を組んで発掘現場を一所懸命撮影してました。お邪魔して自分も中を見てみたかったのですが、向こうさんは仕事してる訳で、邪魔しちゃ悪いかなと思って、遠巻きから撮影するに止めました。先にも述べた様に、車塚と名の付く古墳は前方後円墳なんだそうですが、外から見る分にはそうした形をしてる様には見えませんでした。というか、竹藪の中に古墳があるという感じで、もし発掘調査とかしてなかったら見落としそうです。恐らく、ここも私有地なんじゃないかと思います。まだまだ未調査の古墳らしいので、今後の調査結果が楽しみです。
■まとめ
今回の古墳ツアー、思いつきのやっつけ企画で、何の事前勉強もなしに実施したのですが、思いの外楽しめました。そういえば、昔もこうやって自転車乗って、ヒマな時にアチコチ走ってたなー、という感じで、追体験の旅でした。古墳を巡るといっても、どう見て楽しむか何てのも判ってなかったのですが、古墳がなくても案内板があるだけでも、それを見つける楽しみというのがあるのだな、と感じました。また、自分の記憶の中にある街と今の風景の違いも楽しみの対象となりました。長い間、自分の足で動く乗り物を使ってこなかったのですが、今回久しぶりに自転車に乗って、この種のイベントなら、自転車もまた便利な乗り物だという事を認識しました。これが車やバイク、スクーターであったとしても、古墳や案内板を見落としてしまっていたでしょうし、道を間違えたり、地図を確認したりするのにも、イチイチ止める場所に気を使わされていたでしょう。変速機なしのオンボロ自転車でも、十分楽しめる企画でした。
今回廻った古墳は7つ。昭和57年製の地図には12個載っていますから、あと半分残っている事になります。是非とも第2回で完全制覇を目指したいと思います。
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