ここ数年、大体12月30日頃には京都の実家に帰省する、健全な年越しをしてきました。まぁ、大晦日に夜通し騒ぐ様な付き合いもなくなりましたし、二人っきりで過ごしたい相手もいませんし。する事ないから、帰省してる一面も否めません。
そんな年越しに向かいつつあった11月下旬に誘われた、ウエストポイントの年忘れエンデューロ。たまには仲間と大晦日も良いな、という事で参加を決めました。
■注意事項、事前準備
参加するのは良いとして、大事な事は「帰省もしなければならない事」つまり、レースはあくまで余興の位置付けであって、五体満足に京都に帰って初めて、このミッションは成功となります。
まずスケジュールは、自分が出る4時間耐久のエンジョイクラスが、0900時スタートの1400時終了なので、相方のがんトック兄に無理を頼んで現地を1400時には出て貰って、1600時には自宅に帰り、1800時頃の新幹線に乗る段取りをしました。受付は0700時という事が判ったので、朝積み込んでいたのでは間に合わないので、前日に積み込む事にし、撤収も場合によっては洗車せず積み込む覚悟をしてました。
スケジュールの次は、「ホントに走れるのか」の心配をしました。と言うのも、6月にオフビに行った時は、まったく走れなかったからで、そんな体たらくでは参加費が無駄になるのはともかく、下手したら9月の木更津みたいにケガしかねないからです。そこで12月23日に猿が島のみんなとオフビに練習に行き、ズルズルの泥でもかろうじて走れる事を確認する事が出来ました。
この一年は、グレート・ストライカー号をエンデューロ仕様に最適化する一年で、この年忘れEDは、その総決算となりました。予めタイヤとリアスプロケは、ミシュランAC10とステンズ48丁のホイールに換装してあったので、あとは外装を変えるだけでした。まず、ライトカウル、サイドカバーを外し、ヘッドライト、ウインカー、テールランプを外して、白のレース用の外装を付け替え、サイドミラーを外して完了。所要時間は30分でした。余計な物が無くなり、やる気満々のいでたちになり、ちょっと感動しました。
■レース朝
集合に若干スッタモンダがあったものの、0545時までには前日ホテル泊のミスター・Susi以外は全員集合。連れだってオフビに入場し、その後、自走のミスター・Susiも合流し、いそいそと準備に取りかかりました。
当日は雲一つない晴天。それだけに放射冷却も猛烈で、気温は3度。恐らく、体感温度はもっと低かったと思います。実は年末からずっと風邪をひいていて、こ の日も風邪薬を飲みながらの参加でした。陽が出るまで、なかなか着替える気にもならなかったのですが、お陽さんは有り難いもので、少しでも陽が差すと暖か くなってきて、勇躍着替える気になりました。その後は、バリバリとサイドスタンドを外し、みんな揃って受け付け&車検に向かいました。
受付で3人分の参加費と計測チップ代を払って参加賞を貰い、そのまま車検場へ。マフラーの音量調べられるかと思ったら、そういうのはなくて拍子抜けしまし た。まぁ、調べられても96デシベルくらいに調整してあるので、大丈夫だったと思いますが。計測チップはどうやって計測するのかと思ったら、マスプロアン テナみたいなのが電波を拾う方式になっていたみたいです。
■いよいよ本番
開会式出て、準備体操して(モトパン履いてからではニーブレース着けにくいので、先に付けたら準備体操しにくかった)、いよいよ本番。スタートはローリングスタートと聞いたので、9月の白河のレースを思い出し、1番目だったらヤダなーと思ってたら、厳正なジャンケンの結果、自分は2番手に決まりました。
とりあえず最初は各人2周ずつ走ろう、と打ち合わせして、いよいよスタート。地図に書いてあった場所の反対側からスタートなったので、交代要員である自分らはスタートの瞬間は見る事が出来ませんでしたが、コースの反対側から車両が見え隠れするにつれ、どんどん緊張が高まって、心臓がチェストプロテクターの中でバクバク言い始めました。何と言っても、前回のレースがスタートから処置無しの走りしか出来ませんでしたし、9月にはしょーもない転け方で3ヶ月の怪我ですから、緊張しない訳がありません。しかも、今日はどうあっても怪我は禁物なので、なおの事でした。
オフビは大体ドロドロのイメージがあるのですが、この日は連日の晴天続きで、23日に比較すると格段に路面状態がドライで、各車スイスイと気持ちよさそうに走っていきます。
そうこうしているウチに、いよいよ自分の番。一番手から計測チップを受け取って首にかけ、発進。見た通り、路面はドライでグリップが良く、ラフにブレーキングしても滑らない。それでも所々ぬかるんでるし、早くもワダチが出来はじめている所もある。また、コースも細くコーナーも急で、うっかりすると転けてしまうかもしれない。最初の2周はゆっくり走るつもりで、2速オートマで走りました。そして辛うじて転けもせず2周走り、ようやく「やれる!」と手応えを感じて、三番手にバトンタッチしました。
■まさかの大転倒
第三走者のシャーマン君は、ウィークエンドレーサーなどでオフビをよく走ってる猛者だけに、いきなり4〜5周走るという。自バイではないものの、XRも持ってるだけあって、借り物のXRをスイスイ走らせていく。そして2巡目のやいり君も走れたら5周走るという勢いで、その間楽していた自分はすっかり冷えてしまい、むしろ早く変わってくれないかなー、という状態でした。そしてようやく自分の番がきて、マイペースで3周走ってシャーマン君にチェンジしたその直後、衝撃に事件が起こりました。
まだグレート・ストライカー号に跨ったままで、ヘルメットも脱いでなかったのですが、シャーマン君の後ろ姿を見送っていた友人が、「あれ?ヤバイみたいっすよ」とか言い始めたのです。何がやばかったのかというと、出走直後の周回コースのカーブでカリオペ君がどうやら大転倒をやらかして、しかもなかなか起き上がらなかったのです。自分は帰ってきたままの状態で待機して、友人が現場に駆けつけました。自分も遠目でその光景を見ていたのですが、自分でもバイクを起こせぬ重傷っぽい。そして、やっとこ友人が帰ってくると、「しばらく一人で走っててくれ」という。バーパットの時計を見たら、まだ残り2時間あった。エライ事になったと思いつつ、再びコースに戻っていきました。
■考えて乗る
怪我のない様に楽して帰るつもりが、先に怪我されてしまい、残り2時間を2人で走る羽目になってしまいました。しかも、取り敢えず一人で走っておけという事で、交代はいつになるやら判りません。無理して自分まで怪我してはたまらないので、まずは安全運転を第一にして、危なそうなところは迷わず徐行し、バトルに巻き込まれたら「お先にどうぞ」の精神で抜いて貰い、とにかく自分のライダーレベルに合わせたペースで走る事を心がけました。
当然、知り合い達が「あひゃひゃ〜〜」とか言いながら追い越していく訳ですが、こっちは怪我人抱えてそれどころでなかった訳です。1周走って帰ると、サインボードに何やら書いて掲げています。が、何か居てあるか判らず「しばらく走れ」の意味だと勝手に解釈してもう一周走って帰ってくると、手招きされたんでピットイン。まさか代わってくれるとは思わなかったのだけど、案の定、シャーマン君の容態の報告で、どうやら脱臼したらしい事、しかし意識はしっかりしてるといった事を聞き、再度コースへ。
この頃から、自分の乗ってるバイクがどんな風に走らせる事が出来るのかが判ってきました。まず、フロント12丁リア48丁の重低速仕様であるので、2速発進も楽に出来る事、コーナーではギリギリまで速度を落とす事が出来、かつ止まりそうになっても半クラッチでしのげる事、アクセルを噴かす代わりにクラッチをジワリと繋いで前に進める事が出来る事。その一方で、それまで2速オンリーで走っていたのですが、直線や周回では次第にトロ臭くなってきて3速に上げ、かつコーナーも出来る限り3速のまま回って、立ち上がりから一気に加速する事が出来る、といった事が判ってきました。また、乗車姿勢もほぼベタ座りだったのですが、コーナーでは出来る限りシートの角に座って車体を傾ける様になり、凹凸のある地面ではスタンディングも使うようになりました。ワダチには極力逆らわず、転けない様に注意して走っていく事、30分。ようやくやいり君と交代する事が出来ました。
■大晦日の決断
さて、負傷したシャーマン君は本部の方に居る、という事だったので向かってみると、愛車のピックアップトラックに左肩抱えて座り込んでいた。
状況を聞くと、脱臼でその場にいた医者らしき人に入れて貰ったらしい。本人は大丈夫っぽい事を言うが、見た目痛そうである。レース復帰はまったく無理でも、果たして車運転して帰れるかどうか。これが普段の日なら、早めに帰って明くる日、診察受ける手もあるが、何せ大晦日である。明日から日本全国正月で、三が日は病院やってないと見て間違いない。しかも、自分で駆け込んだのでは、なかなか診て貰えない可能性もある。ここは大事とって、救急車呼ぶ事にした。
呼んでみると、すでに1台、コースに向かっているという。その人はどうも意識がないそうで、そっちを先に運んで、2台目の救急車でシャーマン君は運ばれる事になった。
■激闘!最後の30分
シャーマン君を見送って、そろそろ交代するかなー、とピットに戻ってみると、一番手がバイク止めて休んでました。まぁ、延々45分近く走らせましたので、さすがに疲れたみたいです。残り時間30分。一人で大丈夫ですか?と聞かれたものの、散々走らせたあとだけに、ダメ〜とも言えないので、最後は一人で走りきる決意でコースに入りました。
コースに入ってほどなく、「残り時間30分でーす」というアナウンスが流れました。すると途端に、周りを走っていたライダーたちが、目三角にして、ガリガリと走り出すではないですか。左右から当てられてハンドルがぶれる、轍にはまった足の上を走り去っていく、転ければ転けた足の上を挽いていったライダーもいました。もっとも、足踏んでいってくれた連中が、コーナーで団子になって転けている横を、涼しい顔してトコトコ通り抜けたりしましたが。
最後の30分では、主に3速を中心に使い、細かいコーナーやシフトアップの手間が難しいところだけ、2速で開けて突破する様にして、出来る限りアクセルを開ける様にしました。当然、今までの様に惰性でコーナーを回るという訳にもいかないので、ブレーキングもしっかりやり、クラッチも多用する事になりました。最後の方では、クラッチ握る人差し指の力が入らなくなり、クラッチが切れなくてコーナーでエンストして転ける事も何度かありました。二本指に切り替えたのですが、そうなるとグリップの保持が難しくなり、コーナーの度に指を2本にして切り抜けました。
そうこうしているウチに、友人がサインボードにチェックのパンツ柄みたいなのを描いて掲げ始めました(最初は何か判らなかったのですが、チェッカーフラッグの絵でした)。しいなさんは「リラックマ」と描いたサインボードを掲げています(あとで聞いたら、リラックスでした。肩にガチガチに力が入ってたとの事)。いよいよ最後だなーと思いつつ、ここで転けても詰まらないので、トロトロと走り続けました。そして、大方のライダーがチェッカーフラッグを受けたあと、おそらく最後から2番目にゴール。4時間耐久レースを無事終える事が出来ました。
*評価と反省
当初、まともに走れるかすごく心配していたのですが、晴天続きで路面が乾いた事、また普段のオフビのコースより走りやすいコース構成になっていたのにも助けられました。
また、この一年かけて、グレート・ストライカー号をエンデューロ仕様に最適化してきた訳ですが、その効果が遺憾なく発揮されたと思います。確実に言える事は、後輪が回ってる限りにおいて、少しでも前に進んでいる限りにおいて、決してエンストはしない事。また、2〜3速に入っていても上手にクラッチをミートさせる事で、エンストせずに前進させる事が出来ると判りました。23日の時の様なまったくのマディでは、まだ太刀打ち出来ませんが、そこそこドライな路面であれば、早さを度外視すればそれなりに走れる事が判りました。
その反面で、問題点もちらほら。まず、一旦レースに突入したら、習った事は95%頭から抜け落ちて、とにかく転けない事に精一杯で、基本姿勢もヘッタクレもなくなっていました。結果としては、その方が余計危ないのですが、気がつくまでにしばらく掛かります。意識しなくても、姿勢が決まる様にならない事にはダメですね。2日後に出た筋肉痛から、肩に力が入りすぎ、腕上がりを起こしている事がよく判りました。今使っているハンドルにも問題があると思うので、要交換と思っています。
後半、何度かボテ転けして、その度に起こしていた訳ですが、9月のレースの時に比べれば格段に軽量化されていて、起こすのにも以前ほど苦労はしませんでした。しかし、他のレーサーに比べればまだまだ20kgは重い訳で、もっと軽量化を図りたいところです。タンク、アンダーガードなどが対象となるでしょう。ここら辺は、ショップとも相談の上、進めていきたいと思います。
BLUE COLOUR WORKER
そんな年越しに向かいつつあった11月下旬に誘われた、ウエストポイントの年忘れエンデューロ。たまには仲間と大晦日も良いな、という事で参加を決めました。
■注意事項、事前準備
参加するのは良いとして、大事な事は「帰省もしなければならない事」つまり、レースはあくまで余興の位置付けであって、五体満足に京都に帰って初めて、このミッションは成功となります。
まずスケジュールは、自分が出る4時間耐久のエンジョイクラスが、0900時スタートの1400時終了なので、相方のがんトック兄に無理を頼んで現地を1400時には出て貰って、1600時には自宅に帰り、1800時頃の新幹線に乗る段取りをしました。受付は0700時という事が判ったので、朝積み込んでいたのでは間に合わないので、前日に積み込む事にし、撤収も場合によっては洗車せず積み込む覚悟をしてました。
スケジュールの次は、「ホントに走れるのか」の心配をしました。と言うのも、6月にオフビに行った時は、まったく走れなかったからで、そんな体たらくでは参加費が無駄になるのはともかく、下手したら9月の木更津みたいにケガしかねないからです。そこで12月23日に猿が島のみんなとオフビに練習に行き、ズルズルの泥でもかろうじて走れる事を確認する事が出来ました。
この一年は、グレート・ストライカー号をエンデューロ仕様に最適化する一年で、この年忘れEDは、その総決算となりました。予めタイヤとリアスプロケは、ミシュランAC10とステンズ48丁のホイールに換装してあったので、あとは外装を変えるだけでした。まず、ライトカウル、サイドカバーを外し、ヘッドライト、ウインカー、テールランプを外して、白のレース用の外装を付け替え、サイドミラーを外して完了。所要時間は30分でした。余計な物が無くなり、やる気満々のいでたちになり、ちょっと感動しました。
■レース朝
集合に若干スッタモンダがあったものの、0545時までには前日ホテル泊のミスター・Susi以外は全員集合。連れだってオフビに入場し、その後、自走のミスター・Susiも合流し、いそいそと準備に取りかかりました。
当日は雲一つない晴天。それだけに放射冷却も猛烈で、気温は3度。恐らく、体感温度はもっと低かったと思います。実は年末からずっと風邪をひいていて、こ の日も風邪薬を飲みながらの参加でした。陽が出るまで、なかなか着替える気にもならなかったのですが、お陽さんは有り難いもので、少しでも陽が差すと暖か くなってきて、勇躍着替える気になりました。その後は、バリバリとサイドスタンドを外し、みんな揃って受け付け&車検に向かいました。
受付で3人分の参加費と計測チップ代を払って参加賞を貰い、そのまま車検場へ。マフラーの音量調べられるかと思ったら、そういうのはなくて拍子抜けしまし た。まぁ、調べられても96デシベルくらいに調整してあるので、大丈夫だったと思いますが。計測チップはどうやって計測するのかと思ったら、マスプロアン テナみたいなのが電波を拾う方式になっていたみたいです。
■いよいよ本番
開会式出て、準備体操して(モトパン履いてからではニーブレース着けにくいので、先に付けたら準備体操しにくかった)、いよいよ本番。スタートはローリングスタートと聞いたので、9月の白河のレースを思い出し、1番目だったらヤダなーと思ってたら、厳正なジャンケンの結果、自分は2番手に決まりました。
とりあえず最初は各人2周ずつ走ろう、と打ち合わせして、いよいよスタート。地図に書いてあった場所の反対側からスタートなったので、交代要員である自分らはスタートの瞬間は見る事が出来ませんでしたが、コースの反対側から車両が見え隠れするにつれ、どんどん緊張が高まって、心臓がチェストプロテクターの中でバクバク言い始めました。何と言っても、前回のレースがスタートから処置無しの走りしか出来ませんでしたし、9月にはしょーもない転け方で3ヶ月の怪我ですから、緊張しない訳がありません。しかも、今日はどうあっても怪我は禁物なので、なおの事でした。
オフビは大体ドロドロのイメージがあるのですが、この日は連日の晴天続きで、23日に比較すると格段に路面状態がドライで、各車スイスイと気持ちよさそうに走っていきます。
そうこうしているウチに、いよいよ自分の番。一番手から計測チップを受け取って首にかけ、発進。見た通り、路面はドライでグリップが良く、ラフにブレーキングしても滑らない。それでも所々ぬかるんでるし、早くもワダチが出来はじめている所もある。また、コースも細くコーナーも急で、うっかりすると転けてしまうかもしれない。最初の2周はゆっくり走るつもりで、2速オートマで走りました。そして辛うじて転けもせず2周走り、ようやく「やれる!」と手応えを感じて、三番手にバトンタッチしました。
■まさかの大転倒
第三走者のシャーマン君は、ウィークエンドレーサーなどでオフビをよく走ってる猛者だけに、いきなり4〜5周走るという。自バイではないものの、XRも持ってるだけあって、借り物のXRをスイスイ走らせていく。そして2巡目のやいり君も走れたら5周走るという勢いで、その間楽していた自分はすっかり冷えてしまい、むしろ早く変わってくれないかなー、という状態でした。そしてようやく自分の番がきて、マイペースで3周走ってシャーマン君にチェンジしたその直後、衝撃に事件が起こりました。
まだグレート・ストライカー号に跨ったままで、ヘルメットも脱いでなかったのですが、シャーマン君の後ろ姿を見送っていた友人が、「あれ?ヤバイみたいっすよ」とか言い始めたのです。何がやばかったのかというと、出走直後の周回コースのカーブでカリオペ君がどうやら大転倒をやらかして、しかもなかなか起き上がらなかったのです。自分は帰ってきたままの状態で待機して、友人が現場に駆けつけました。自分も遠目でその光景を見ていたのですが、自分でもバイクを起こせぬ重傷っぽい。そして、やっとこ友人が帰ってくると、「しばらく一人で走っててくれ」という。バーパットの時計を見たら、まだ残り2時間あった。エライ事になったと思いつつ、再びコースに戻っていきました。
■考えて乗る
怪我のない様に楽して帰るつもりが、先に怪我されてしまい、残り2時間を2人で走る羽目になってしまいました。しかも、取り敢えず一人で走っておけという事で、交代はいつになるやら判りません。無理して自分まで怪我してはたまらないので、まずは安全運転を第一にして、危なそうなところは迷わず徐行し、バトルに巻き込まれたら「お先にどうぞ」の精神で抜いて貰い、とにかく自分のライダーレベルに合わせたペースで走る事を心がけました。
当然、知り合い達が「あひゃひゃ〜〜」とか言いながら追い越していく訳ですが、こっちは怪我人抱えてそれどころでなかった訳です。1周走って帰ると、サインボードに何やら書いて掲げています。が、何か居てあるか判らず「しばらく走れ」の意味だと勝手に解釈してもう一周走って帰ってくると、手招きされたんでピットイン。まさか代わってくれるとは思わなかったのだけど、案の定、シャーマン君の容態の報告で、どうやら脱臼したらしい事、しかし意識はしっかりしてるといった事を聞き、再度コースへ。
この頃から、自分の乗ってるバイクがどんな風に走らせる事が出来るのかが判ってきました。まず、フロント12丁リア48丁の重低速仕様であるので、2速発進も楽に出来る事、コーナーではギリギリまで速度を落とす事が出来、かつ止まりそうになっても半クラッチでしのげる事、アクセルを噴かす代わりにクラッチをジワリと繋いで前に進める事が出来る事。その一方で、それまで2速オンリーで走っていたのですが、直線や周回では次第にトロ臭くなってきて3速に上げ、かつコーナーも出来る限り3速のまま回って、立ち上がりから一気に加速する事が出来る、といった事が判ってきました。また、乗車姿勢もほぼベタ座りだったのですが、コーナーでは出来る限りシートの角に座って車体を傾ける様になり、凹凸のある地面ではスタンディングも使うようになりました。ワダチには極力逆らわず、転けない様に注意して走っていく事、30分。ようやくやいり君と交代する事が出来ました。
■大晦日の決断
さて、負傷したシャーマン君は本部の方に居る、という事だったので向かってみると、愛車のピックアップトラックに左肩抱えて座り込んでいた。
状況を聞くと、脱臼でその場にいた医者らしき人に入れて貰ったらしい。本人は大丈夫っぽい事を言うが、見た目痛そうである。レース復帰はまったく無理でも、果たして車運転して帰れるかどうか。これが普段の日なら、早めに帰って明くる日、診察受ける手もあるが、何せ大晦日である。明日から日本全国正月で、三が日は病院やってないと見て間違いない。しかも、自分で駆け込んだのでは、なかなか診て貰えない可能性もある。ここは大事とって、救急車呼ぶ事にした。
呼んでみると、すでに1台、コースに向かっているという。その人はどうも意識がないそうで、そっちを先に運んで、2台目の救急車でシャーマン君は運ばれる事になった。
■激闘!最後の30分
シャーマン君を見送って、そろそろ交代するかなー、とピットに戻ってみると、一番手がバイク止めて休んでました。まぁ、延々45分近く走らせましたので、さすがに疲れたみたいです。残り時間30分。一人で大丈夫ですか?と聞かれたものの、散々走らせたあとだけに、ダメ〜とも言えないので、最後は一人で走りきる決意でコースに入りました。
コースに入ってほどなく、「残り時間30分でーす」というアナウンスが流れました。すると途端に、周りを走っていたライダーたちが、目三角にして、ガリガリと走り出すではないですか。左右から当てられてハンドルがぶれる、轍にはまった足の上を走り去っていく、転ければ転けた足の上を挽いていったライダーもいました。もっとも、足踏んでいってくれた連中が、コーナーで団子になって転けている横を、涼しい顔してトコトコ通り抜けたりしましたが。
最後の30分では、主に3速を中心に使い、細かいコーナーやシフトアップの手間が難しいところだけ、2速で開けて突破する様にして、出来る限りアクセルを開ける様にしました。当然、今までの様に惰性でコーナーを回るという訳にもいかないので、ブレーキングもしっかりやり、クラッチも多用する事になりました。最後の方では、クラッチ握る人差し指の力が入らなくなり、クラッチが切れなくてコーナーでエンストして転ける事も何度かありました。二本指に切り替えたのですが、そうなるとグリップの保持が難しくなり、コーナーの度に指を2本にして切り抜けました。
そうこうしているウチに、友人がサインボードにチェックのパンツ柄みたいなのを描いて掲げ始めました(最初は何か判らなかったのですが、チェッカーフラッグの絵でした)。しいなさんは「リラックマ」と描いたサインボードを掲げています(あとで聞いたら、リラックスでした。肩にガチガチに力が入ってたとの事)。いよいよ最後だなーと思いつつ、ここで転けても詰まらないので、トロトロと走り続けました。そして、大方のライダーがチェッカーフラッグを受けたあと、おそらく最後から2番目にゴール。4時間耐久レースを無事終える事が出来ました。
*評価と反省
当初、まともに走れるかすごく心配していたのですが、晴天続きで路面が乾いた事、また普段のオフビのコースより走りやすいコース構成になっていたのにも助けられました。
また、この一年かけて、グレート・ストライカー号をエンデューロ仕様に最適化してきた訳ですが、その効果が遺憾なく発揮されたと思います。確実に言える事は、後輪が回ってる限りにおいて、少しでも前に進んでいる限りにおいて、決してエンストはしない事。また、2〜3速に入っていても上手にクラッチをミートさせる事で、エンストせずに前進させる事が出来ると判りました。23日の時の様なまったくのマディでは、まだ太刀打ち出来ませんが、そこそこドライな路面であれば、早さを度外視すればそれなりに走れる事が判りました。
その反面で、問題点もちらほら。まず、一旦レースに突入したら、習った事は95%頭から抜け落ちて、とにかく転けない事に精一杯で、基本姿勢もヘッタクレもなくなっていました。結果としては、その方が余計危ないのですが、気がつくまでにしばらく掛かります。意識しなくても、姿勢が決まる様にならない事にはダメですね。2日後に出た筋肉痛から、肩に力が入りすぎ、腕上がりを起こしている事がよく判りました。今使っているハンドルにも問題があると思うので、要交換と思っています。
後半、何度かボテ転けして、その度に起こしていた訳ですが、9月のレースの時に比べれば格段に軽量化されていて、起こすのにも以前ほど苦労はしませんでした。しかし、他のレーサーに比べればまだまだ20kgは重い訳で、もっと軽量化を図りたいところです。タンク、アンダーガードなどが対象となるでしょう。ここら辺は、ショップとも相談の上、進めていきたいと思います。
BLUE COLOUR WORKER
コメント
コメント一覧
「出来る限りアクセルを開ける」、素晴らしいです!
アクセルは車を進める為のものですが、時にはサスを
動かし、時には向きを変える為にも使用する。
アクセルってそんな総合的な事が色々出来るものですね♪
今回のたにし先生の記事を読ませて頂き
これからのたにし先生の飛躍が楽しみで〜す!
「去年の9月、3週間休んだ時に、
“これじゃ、レース止めて貰わないとな”
って話が出てたんですよ」
って言われますた
まぁ、それが普通ですわねぇ
自分の場合、早く走りたいとか、上手に走りたいという事より、
「怪我しないで走る」ってのが大前提にないとダメですね。
結果、早かったり上手だったりすれば良い訳でして
徐々に手馴れた感じになってきているのが羨ましい
次はタンクをIMSあたりのポリタンに換装ですな〜
社会人は「怪我せずに帰る」のが最大のミッションだと思いますので、お互い気をつけて楽しみましょう
ではでは〜
「怪我せずに帰る」まったくその通りですね。
カリオペ君は残念な事になりましたが、
上手い人でもああなるんだから、下手な自分はもっと気をつけないと
ところで、IMSのポリタンって、
白い奴はクラック入るって話し何ですけど、
どーなんでしょうか
いっそのことレーサーのポリタンを付けちゃうとか?
そうするとシュラウドが無くなる問題が発生しますが(^-^;
いずれにしても、タンクの鉄からポリへの変更は軽量化に絶大な効果があるのでオススメですよ
できればオイラの弟のXRにも施したいくらい?
何件かヒットしますよ〜
たしかに、白の奴だと、変色した上にクラックが入るみたいで、、
だったら黒にすれば、ってのもあるんですが、
やっぱクラック入ったら困りますしねぇ〜
あと値段が高い!
タンクに3万も出すなら、ME08のピストンとカムシャフト入れます!!
素材が素材なのに・・・
二の足踏むのも分かります
オイラも踏みっぱなしですから
タンクからガソリン抜いて、必要な分だけ入れておく、
って方法の方が、よっぽど軽量化になるかなー
と考え中です。
長時間走る場合は(今んとこ、そんなスタミナないですが)
ピットインして補給、というアクションも楽しめます