今から考えたら、よう頑張ったなぁとも、アホやなぁ、 とも思えるたにし史上最大の挑戦。 バイク乗りならまずは憧れる大型二輪免許を巡る伝説を一挙公開。 (済みませんが、写真が一枚もないので、文章だけです。頑張って読んでね☆)

*再試験ですべって大型二輪取得を決意するのこと
   原チャリの免許を取って原チャリでバイクの楽しさが段々判ってくると、もっとでかくて早いバイクに乗りたくなってくる。そこで中型二輪の免許を取る事を決意するが、どうせ教習所行くなら普通免許も取っておくか、とまずは自動車の免許を取り、学科を数時間稼いで中型二輪免許を取ったのが平成3年の夏。今から15年も前の事なのだ。ところで、この平成3年というのは、あの忌まわしい「初心運転者期間」が始まった年でもある。つまり、免許を取って1年以内に反則6点以上になると、運転試験所せ再試験し、不合格になると免許を取り上げられてしまう、という言語道断な制度。免許取るのにいくら金掛かってると思うんか、と言いたい訳であるが、実はワタクシ、たった1年で6点オーバーしてしまい、鮫洲試験所のボロボロの400ccで5mも走れず、物の見事に中免を取り上げられてしまったのでした。本当に頭に来ていてはいたものの、試験所とか警察に自爆テロとかやるだけの根性はないので、また教習所で中免とるか、なんて思っていた時、会社(その時はすでに就職してた)の先輩から「お前、バイクのセンスないんだから、やめちまえ」とバカにされ、一念発起。「判りましたよ、じゃぁオレ、鮫洲で大型取ってきますから、オレが大型取ったら、I上さんも大型取りなさいよ」と啖呵を切って、茨の道に進んだのでした。今でこそ、教習所で大型二輪免許は取れるみたいですが、当時はナナハンとかリッターに乗りたい人は、東大合格率より低い一発試験で限定解除する他なかったのです。しかも自分の場合は、限定解除でもなく、一発試験と相成ったのでした。



*とにかく、月月火水木金金で訓練のこと
   中免の再試験で、いきなり試験を受けてもまず受からないどころか、まともに動かせもしない事が判っていたので、とにかく練習しない事にはどうにもならない事だけは判りました。行きつけの近所のバイク屋のアンちゃんとも相談し、府中にある大型二輪の練習所に通う事になりました。今はどうなのか知りませんが、当時は府中の試験所の近所には、その手の練習所が結構ありました。自分が通った練習所は、今から考えたら結構チンケな狭い練習所だった様に覚えていますが、狭いだけに細かい操縦の練習にはもってこいでした。練習費用はたしか1時間3000円。回数券を買うと若干安くなった気がします。
   始めの頃は、とにかく大型は初心者だという事で、ニーグリップの仕方から仕込まれました。どういう事かと言いますと、センタースタンド立てたバイクにまたがって、ペダルのつま先が掛かるように、内向きで、しかも踏み込まない様に注意し、がっちり内股でタンクをグリップする、というのをみっちりやりました。ニーグリップの重要性はほどなく理解できるのですが、問題は、自分の場合、ウンコ座りした時に、踵が地面に着かない足の構造になっているので、土踏まずにステップを掛けると、どうしてもつま先がペダルを踏み込んでしまいます。かといって、今までみたいに、ステップとペダルの間につま先をつっこんだのでは、試験官からニーグリップしてないと見なされて発進直後に失格です。また、そんな乗り方ではニーグリップは利きはしません。悩みを教官に打ち明けたところ、足をずらして足の親指の付け根あたりでステップを踏め、と教えてくれました。要は大事なのは、つま先がペダルの上に来てるかどうかの様です。でも、実際にやってみると、がっちりニーグリップが効く様になり、またギアヌケも徐々に起こさない様になりました。
   次にやったのが、アイドルでトコトコ走る事。ギアを一速に入れ、ゆっくりクラッチレバーを離して、トコトコトコ……と走るのですが、初めは怖かったです。まずエンストして転けそうになりましたから。どんなバイクでもそうですが、いきなりクラッチレバーを離せば、エンストします。大型の場合、パワーが段違いなので、ドーンと飛ばされる訳です。しかし、教官の説明がふるってました。エンジンというのは回転している限りにおいて止まる事はない、ゆっくりクラッチを繋げば、その回転数で動き出す、と。で、ジワジワ〜とつないでみると、トトト……と動き出しました。これでようやく、大型の試験車の特性が判った気がしました。今はどうか知りませんが、当時の試験車のアイドルは大体700から800。普通は1000くらいですから、上手にクラッチを繋がないとエンスト、転倒で試験終了になってしまいます。また、パワーを持て余し、パニ食ってクラッチレバー握ってすっ飛んでいく、といくのも結構あります。アイドル走行の感覚が分かっていれば、2速くらいでもギリギリまで回転数を下げて動かす事が出来るようになり、それが後々のターンやクランク、波状路なんかに生きてくる訳です。
   お次に待っていたのが、ターンの仕方。よく曲がる方向に視線を向けろ、というのがありますが、あれです。バイクは自転車と違ってハンドルで曲がるのではなく、車体を寝かして曲がる訳ですが、前輪の前の方を見てたのでは絶対に曲がれません。というか、大型の場合その場で転けます。進行方向に視線を向けなければならないのですが、初めのうちはこれが難しい。しかも難しいだけではなく、教官のあとについて回っていると、どんどん回る半径が小さくなっていく。最後には自分の乗ってるバイクのテールランプを見てる様な感じにまでなってくる。これは最初のウチはごっつ怖いです。回っているウチに転けたり、車体を引き起こせなくて転けたり、何度も転けました。でも慣れてくると、視線を向けた方向にクルクル回れる様になり、最後は楽しくなってしまいました。
   クランクやS字、スラロームは試験終了の危険地帯なのですが、1速に落として失敗するケースが多い様です。自分もそうでした。ここは2速で突破する。エンブレとリアブレーキとアクセルワーク、そして体重移動で車体をコントロールする訳です。もちろん、コントロールできる様になるまでに、そうとう転けますし、怖い思いをします。でも人間不思議なもので、やり方さえ教えて貰って、あとは怖いのを克服すれば、なんとか出来てしまい、最後は喜んでクランクに突っ込んでいける様になるものです。スラロームはアクセルワークとリアブレーキをタイミング良く、試験所語ではメリハリ良く、キュッキュと効かせるのがコツで、最初のウチはビビってなかなか出来ないものですが、パイロンの横に突っ込んだ時にフットブレーキを踏み、体重移動してパイロンの反対方向に突っ込む時にアクセルをふかす、というのが理解できれば、難しい事はありませんでした。
   一本橋で落っこちる人は結構多い様ですが、自分はあまり落ちませんでした。ただ、せっかちなのか、11秒掛けねばならないのに、8秒くらいで渡ってしまう事が多かったみたいです。波状路はスタンディングでアクセルワークをメリハリ良くやれば突破出来るので、それほど難しいとは思いませんでした。
   ここら辺が出来るようになると、あとは自分で考えて練習し、それを教官に見て貰って、どこが良かった悪かったと教えて貰うようになりました。試験も5回目をすべった頃には、周回コースを全力疾走、おもむろに減速、そのまま最少半径ターンを5〜6回かまして、また周回に戻る、とか、法規運転をしっかりやる(これで落とされる事も多い)といった自主トレに励みました。

*鮫洲で試験受ける事11回のこと
   試験と名が付けば取り敢えずは難しい訳ですが、当時、大型二輪の運転試験は、試験官曰く年間6%くらい。東大に受かるよりも難しかったんだそうです。一体バイク人口がどれだけあるのか判りませんが、たったの6%しか免許取れない、という事になれば、大型バイクなんぞは売れない訳でして、アメリカからいちゃもん付けられるのも、ある意味うなずける話しです。
   限定解除=大型二輪試験の何が難しいといっても、まず第一にあげられるのは、緊張感ではないでしょうか。バイクそのものは、20〜30時間も練習で乗れば、大抵は乗りこなせる様になっています。基本的に人間の作った製品ですから、まっとうな人間なら大抵は乗りこなせる様になるのです(だから諦めないように)。しかし、試験所の緊張感というのは、いつまで経ってもなかなか慣れないものです。だから、自分の順番が回ってきたら、すべってナンボくらいの感覚で乗るのがベターです。
   大型二輪免許は当時は「一発免許」と言われたものですが、一発で受かった人というのは、自分が知る限り一人もいません。ちなみに自分は11回、約半年かかっています。試験所の方でもそこら辺は判っているみたいで、試験の順番がルーキーはあとの方です。不思議な事に、順番がうしろの奴ほど、ボコボコ落ちていきます。逆に、1番2番は4人に2人は受かります。合格する、というのは当然ですが完走しなきゃいかん訳で、完走するからにはそれなりに時間が掛かります。だから時間のかかりそうな奴は先にやらせて、速攻で落ちるやつは後まわし、その方が試験官も楽だったのかもしれません。言うまでもないですが、受験者が自分で順番を決めたりは出来ません。だから、順番が試験の度に上がっていくのに期待を寄せながら、試験所通いをせねばならない訳です。
   さっきも書きましたが、合格の最低条件は完走する事です。ところがこれがなかなか難しい。発進と同時に試験中止、クランクで転倒、試験半ばで法規運転ミスでアウト、コース忘れて間違って中止、あとちょっとで完走なのになぜか中止……。こんな具合でなかなか完走できません。実をいうと、自分は11回目で初めて完走し、それで合格してしまいました。つまり、それぐらい完走するのは難しいのです。
   技能運転で失敗こく、というのは明らかに練習不足ですから、もっと練習を積む必要があります。また失敗しないまでも減点されて、それがオーバーしてアウト、という事もあります。自分の場合ですと、一本橋で時間が足りないのと、短制動でロックしてしまう、というのが弱点でした。たしか合格点は90点以上だったと思いますので、その二つでミスっても、他を完璧に仕上げて合格する作戦で望んでいたと思います(というか、そう言い聞かせて、常にパーフェクトを目指した)。技能がばっちりなのに落とされるのは、法規運転が甘い場合です。安全確認やキープレフトをしっかりやらないと、たちどころにアウトになります。ちなみに、鮫洲の場合、キープレフト出来てるかどうかの目安や、コースの所々にある雨水用の側溝のフタの上をちゃんとトレースしたかどうかが目安だったみたいです。
   コースを周回中に試験終了になると、デカいスピーカーから「○号車、試験中止」とアナウンスされます。アナウンスされたら最短コースで発進地に戻らねばなりません。ところが中には聞こえないふりしてそのまま走ってしまう奴もいます(実際に気が付かない人もいます)。でも、こういうのは試験官の印象を悪くして、下手すれば目を付けられてしまうので、中止になったらあっさり戻ってくるべきです。試験官と顔見知りになる(ほど試験受けに行く事になるが)からといって、別に手心加えてくれる訳ではないですが、悪印象を持たれるのは明らかにマイナスです。



*努力の成果か、神の奇跡か? 大型二輪合格のこと
   今になって思うのは、大型二輪免許を取るまでの日々というのは、ホント忍耐力を身に付ける人生経験だったな、という事。別にリッターとかに乗りたくて試験を受けようと思ったのではなく、取り上げられた中免の恥を注ぐためにチャレンジした訳ですから、別に大型でなくったって良かった訳です。元気に試験を受けれたのは5回目あたりまでで、10回目の試験で落ちた時は、本当にやめようかと思いました。
   試験にチャレンジしている間の練習、というのがまたすごかった。朝、事あるごとにパンクするチューブタイヤでいつキャブが詰まる判らんディオにまたがって、江戸川区から府中まで移動。昼過ぎまで練習して、今度は鮫洲まで移動。で、試験にすべって泉岳寺の会社で泊番をやり、明け番にまた府中へ。休みの日も出来る限り府中へ。試験の予約は鮫洲でしか出来ないので、雨が降っても試験には行き、すべって次回の試験の予約を入れる。今から考えたら、ものごっつい事をやっていた訳です。中免取って1年で6点減点された奴が、よくもまぁ原付でこんな大移動をやらかして、一度もキップ切られなかったものです。奇跡といっても良いでしょう。
   大型二輪試験に合格したのは、忘れもしない平成4年、1992年7月2日の午後4時過ぎ。初完走で一発合格でした。実はこの日は朝から小雨が降っていて、ぶっちゃけ「嫌やなぁ、行くの止めようかなぁ」とか思っていたのですが、行かない事には試験の予約取れないので、そっちの方が面倒くさくてレッツ・ゴー。いつもの様に府中で練習して、鮫洲に着いた時には空がドロドロ暗くなり、試験の時は前も見えなくなるくらいの雨。それでも試験やるから、やらせる方もやる方も気合いの入り方が違う。自分の場合は、どっちみちこんな雨では不合格間違いなしだし、さっさと終わらせて次ぎの予約とって会社行こう、と思っていた訳です。順番は1番目。試験の最中は、とにかく雨で前が見えない。シールドを跳ね上げて、痛いほど叩き付けられる雨を顔に被りながら、「そろそろアウトかな」とか思いつつ走っているうちに、ゴール。エンジン切って、後方確認してから降りて、サイドスタンド立てて、不動の姿勢を取ったら、試験官が「名前は?年は?出身地は?」と聞いてくる。でそれに答えると、「はい、合格。あっち(試験所の受付)で待ってて」と言われた。言われた本人は、まさか合格するとは思ってなかったので、ボケッとしていたが、試験待ちの連中から拍手されて、やっと合格したのが判った。まっさかこんな雨の日に合格するなんて。まさか受かると思ってなかったのに合格するなんて。直ぐに会社に「合格したんで、免許作るからちょっと遅れます」と電話したら、電話の向こうでも喜んでくれた。その日、合格したのは自分ともう一人だけだった。

*大型二輪取得、その後
   大型二輪取得前と後での決定的な違いは、まず自損事故がなくなった、という事。それまでは転けたり突っ込んだりで、結構事故が多かったのだが、大型を取ってからはそんな無茶な運転しなくなったのか、自分で転けて怪我する事はなくなった。 転けなくなったと平行して、自信をもってバイクを操縦できる様になった。それまでは、どちらかというと、バイクにまたがっているだけだったが、大型取ってからは、腰と足でバイクを乗りこなすようになった。
   あと、大型を取ってから、キップを切られなくなりました(笑)。まぁ、慎重に乗るようになったからなのか、ただ単に運がいいからなのか、よく判りません。バイクにあまり乗らない様になってしばらくしてから、原チャリに乗ったときに、思いっきりキップ切られてますから、やっぱり運が良かっただけかもしれません。
   そして、せっかく大型二輪を取った訳ですから、それこそナナハンでもリッターでも乗れば良かったのですが、結局、そうした大型二輪には目もくれず、再びブロスに乗り、今もって大型二輪には乗っていません。まぁ、出だしが意地で取ったも同然の免許で、別にハーレーとかアフリカツインに乗りたい、といった理由では全然なかったので、大型に乗らなかったのは全う至極な話しでもあったのでした。
   今は教習所でも大型二輪が取れる様になり、昔の様なシンドイ思いをしないでも済むのかもしれません。うらやましいな、と思う反面、取った者の余裕で、それでも自分は試験所で11回試験受けて合格して良かったな、と思います。というのも、あのしんどかった半年間こそが、本当にバイクに乗る楽しさを体で覚える機会であったと思うからです。