=全行程表=■犬吠埼初日の出作戦
家 :2210発
新小岩 :2220着
新小岩 :2231発(千葉行急行)
千葉 :2258着
千葉 :2304発(成東行普通)
成東 :2345着
成東 :2400発(徒歩)
寺参り :0100発
本須賀海岸:0310着
成東海岸 :0820発(バス)
成東 :0840着
成東 :0901発
千葉 :0943着
千葉 :0951発(東京行急行)
新小岩 :1017着
一眼レフを買って以来、“たたかう写真家”を自認するワタクシは、「撮影のための旅行」を敢行する機会を伺っていた。旅行に行って撮影するのではなく、撮影するために旅行する、これぞ写真家であろう! で、その機会は直ぐにやってきた。お正月である。元旦である。その瞬間を撮れば実によろしい。そう、初日の出を撮ろうと決心したのだった。
この近所で初日の出が拝めるのは実に多い。なんと言っても海に近いのだ。千葉に行っても神奈川に行っても海がある。もちろん、東京湾も海である。しかし、やはり一番シブイのは日本で一番日の出が早い銚子の先っぽ、犬吠埼であろう。犬吠埼には実は一度行った事がある。その時は400ccのバイクを飛ばして行ってきたのだが、勇壮な眺めだった。今回はそれをバシーっと写真に撮ろうというのである。何でも調べてみると、JRの銚子駅から現地近傍の犬吠駅には、銚子電気鉄道なるローカル電車が大晦日の晩は終夜運転してるというではないか。さすがである。これはワタクシに行ってこいと言わんばかりのサービスではないか。これで犬吠埼作戦は決定。
出撃前のワンショット。全然余裕かましている
撮影に行くというより、戦争に行く格好である
■今回の装備
今回の作戦では、撮影だけでなく、一つだけやりたい事があった。それは、大晦日といえば年越しそばである。となれば、現地で年越しそばを食いたい。もっとも、駅そばという風情のない事はしたくない。やるなら、灯台のふもとで悠々とそばを食いたいではないか。そこで、どん兵衛の天そばを持参する事にした。問題は、お湯である。本来なら、バーナーでお湯を沸かすべきであろう。しかし、前回行った経験から、犬吠埼は結構風がきつい。しかも、人も意外と多い。そんな所で悠長に湯など沸かしておれるだろうか。そこで、小型の魔法瓶を持参する事も考えた。ただし、そんな物は持ってないので、新規に買わねばならない。駅前のアーケードで探してみると、タイガーのしっかりしたやつは、3700円もする。かといって、聞いた事もないようなメーカーのステンレス製の物は 800円くらい。どっちにも手が出せずウチに帰り、トランギアのアルコールバーナーとオプティマスの123Rに息を吹きかけ、どの程度風に耐えられるか実験した。結果、どっちも意外に風には強い事が判明したので、軽いトランギアを持参する事にした。
その他の食い物に関しては、現地で腹減った用の大型乾パン4枚をラップでくるみ、乾パン食う用のチョコレート「GABA」のビター(江崎グリコ)を購入。行動食としては、森永のミルクキャラメル。あと、スキットルに去年漬けたキウイ酒を入れてポケットにいれた。
服装に関しては、上はTシャツにいつもの襟シャツ、そして米海兵隊がつかっているコヨーテカラーのフリースジャケットに、やはり米軍のウッドランドの M65ジャケットを着込む。下はGパン。靴は米海兵隊のコヨーテブーツを履き、ブーツの中にGパンの裾をたくし込む事にした。ジャケットを2枚着込むのは、まぁ着込める程度にダイエットが成功したからであるが、言うまでもなく防風防寒対策である。行軍中はフリースを背嚢に入れて着ない事にしていた。ブーツは、地面の状態が不明の時は必ず履く事にしているので、特別思い入れがあった訳ではない。
一番困ったのが、実は背負う背嚢で、手頃な大きさの物がなく、昔部活で使っていたモンベルの45リッターの3ウェイバッグを使う事にした。カメラバッグから何から何まで入れてもガサガサと余裕があったが、フリースジャケットを入れたら何とか納まりよくパッキング出来た。
■思いこみで大失敗!
天気予報では、31日は晴れだが、元旦は曇りだという。はて困ったな、と思ったが、曇りだったら曇りでもいいから、雄大な水平線と勇壮な波打ち際の写真を撮ろうと考え、2210時に出発した。友人からは随分早い出発だな、と言われたが、夜の光景も撮影したかったし、なんと言っても年越しそばを食わねばならない。その意味ではむしろ遅い出発だったのだ。ヤフーの路線案内では、乗り継ぎして約3時間くらいで犬吠駅に着く予定であった。電車に乗ってしまえば、あとは座って行ける楽な行程である。
と余裕をかましていたのは、千葉駅までであった。千葉駅について直ぐに異変に気が付いた。電光掲示板をどう見ても、銚子に向かう総武本線は、成東駅止まりなのである。おっかしいなぁ、終夜運転はどうなったんやろ、と駅員に聞いてみると、「銚子行き最終は出ました。このあとはありません」と冷たいお言葉。なんと、総武本線はおろか、千葉駅から先の遠方に向かう電車は、終夜運転などしてなかったのである。これには驚いた、というか、自分の思いこみに驚いた。大晦日はどの電車も終夜運転してるもんだと思っていたのだ。侮るなかれド田舎、こうして出発1時間後に、本作戦は失敗したのだった。
しかし、ここで引き返して、ウチで「行く年来る年」など見てしまったのでは、“たたかう写真家”の名が一等最初に廃ってしまう。ここはどうあっても作戦を遂行すべきである。
両編成の総武本線に乗り込み、路線図を見る。佐倉で乗り換えて成田に向かうか、そのまま成東まで行くか。どっちに行っても、始発では初日の出に間に合わない。ちょっとでも銚子に近い方が良さそうだ。成東からタクシーで銚子に向かう方法だってある。そこで、そのまま電車に居座って、成東まで向かう事にした。
■夜の成東
2345時、成東駅到着。寒々とした駅で、降りた人も自分含め3〜4人だった。2台タクシーが止まっていたので、「銚子までどのくらい掛かりますか」と聞くと、「1万超えるよ」と冷たいお返事。タクシー代が1万円も超えるような道のりを歩くわけにもいかず(歩いても途中で朝になってしまう)、ここに犬吠埼でシブく撮影する望みは絶たれてしまった。
その時、目に止まったのが駅前のチンケな観光案内。ぱっと見ただけでも、海が近い事が判った。千葉と言えば、別に犬吠埼だけが海ではない。むしろその下の九十九里浜の方がホントの意味で海岸である。なんと言ったって、米軍が上陸作戦を企てるほどの海岸である。かくなる上は、海を目指すべし。
目指すにしても、地図も何もない状態であるから、まずはコンビニを探して地図を見る必要があった。ところが普通駅前にあるコンビニがない。さすがはド田舎である。あちこち歩いてやっとこ見つけた町内地図でコンビニを発見し、やっとこ今風の都市文化に再会する事が出来た。地図を確認すると、成東駅から 121号線をまっすぐ進むと本須賀海岸という所に行き着く。距離にして5kmくらいか(と思った)。一本道だから間違えようもない。行き先が判ったからには、あとはひたすら歩くだけである。
いよいよ出発、と思ったら、コンビニの近くから何やら太鼓をドンドンたたく音がする。音の方を見ると、ライトアップされた寺みたいなのが見えた。せっかく見知らぬ土地に来たのだから、灯りに引き寄せられる蛍みたいに寄ってみると、やはり寺だった。しかも、なんか斜面に立っている危なっかしい寺である。近所の参拝客が階段を上ってお堂に向かっている。ワタクシもその中に混じって、急な階段を上がっていった。ドンドコ言っていたのは、お堂の中で坊さんが太鼓叩きながらお経を上げているからだった。御神酒が出されていたが、下戸のワタクシは遠慮して、100円のおみくじを引いた。なかなか棒が出てこず困ったが、当たったのは大吉。中身の文章は「此のミクジにあふ人は諸事發達のおそき事あれども後大いに仕合よしゆえに物事性急にする事惡し天道をいのり辨財天をしんじてよし」というもので、「まぁ、あわてんなよ」との事である。写真は撮ったが、この種の場所では三脚使用不可が普通であるし、その前に急な階段では三脚はおろか一脚だって使う気にはなれず(もってもなかったが)、全部構えて撮ったので、ベタベタなストロボ写真か手ブレ写真ばかりだった。夜の写真は落ち着いて撮らないとロクなものにはならない。
途中立ち寄った寺。なんという名前か不明
やたら斜面にお堂があって、怖々撮影した
■本須賀海岸に到着!
初詣?も済ませたので、いよいよ行軍開始である。まさか歩く事になるとは思ってなかったが、ブーツを履いてきて正解だった。寺を出て、フラフラと彷徨っているうちに、121号線にばったり出会う。道路標示で本須賀海岸の方向を確認し、いざ出発。
しかし、夜道というのはどこまで行っても夜道である。時々、「これは!」という光景に出くわす以外は、ただ単に歩き通すだけである。しかも、直ぐ海に出ると思っていたのに、なかなか出くわさない。人なんか住んでそうにないのに、コンビニだけは都合4店もあって、地図を見たり、おにぎり買ったり、色々と便利だった。歩く事2時間、だんだん海に近づいてきたのか、海鳴りが聞こえる様になった。そして、地図で確認した最後のコンビニをあとにして、5分後、とうとう海岸に出た。
本須賀海岸は、夏には海水浴場になるみたいである。整備されたロータリーと駐車場、近代的な公衆トイレ、夏にはそれっぽい雰囲気を出すであろうソテツがあちこちに植えてあった。そして駐車場を越えると、地面は砂浜であった。記憶する限り、ここ10年以上、砂浜を踏んでいない。大ポカをかまし、3時間も行軍して、やっとこ着いた海辺だけに、感動もひとしおだった。砂浜の向こうは真っ暗で、一体どこが波打ち際か判らないので、あまり深追いはしなかった。町会らしい人が廃木を焼いて大きなたき火を作っていた。
夏の客用に植えられているソテツ。すごく寒そう
■務め果たしたるトランギア
ウキウキしながら背嚢をおろし、フリースを着込んだ。それまでは歩いていたから体が温かかったが、到着した途端に寒くなってきたのだ。あたりは結構な風が吹いて寒いのだ。そしてお待ちかねの年越しそばを作りにかかった。強風でマッチの火が直ぐに消えて困ったが、それでも2本目で着火。風にあおられながらも頼もしくアルコールバーナーは湯を沸かし始めた。最初は大丈夫かどうか危惧してたが、なかなかどうして。10分くらいしたら湯が沸き出したのだ。ところが、そろそろかな、と思った時、いきなり火が消えてしまった。あれれと思ってカップを上げてみると、満タンだったアルコールが全部なくなっていた。どうやら風にあおられて火が勢いづき、たった10分で全部使い切ってしまったのだ。それでも湯を沸かし切ったから、やはりトランギアのバーナーはエライというべきである。食後の紅茶は飲めなくなったが、次回からは予備の燃料も持たねばならない、という貴重な経験をする事ができた。
寒空の下 じっとお湯が沸くのを待つワタクシ
マジ寒かったです
年越しそばは、なんと箸なしで食った。糧秣の準備で頭がいっぱいで、箸の用意をすっかり忘れていたからだ。まぁ、箸がなくてもススって食えば良いだけの話しである。寒い中で、立ったまま食った訳であるが、実に美味かった。ゴミは背嚢につめ、残った糧秣は全部ジャケットのポケットに詰め込んだ。チョコレートはカチカチに固まり、口の中に入れてもしばらくは溶けなかった。乾パンはさすがに立って食う気になれず、結局そのままウチに持って帰る事になる。
■あまりの寒さにミニストップに退避
到着時刻は0310時。夜明けは0647時のはずである。となると、少なくとも空が明るくなるまでには3時間近く待たねばならない。近隣の住民はみなさん自動車で来ていて、中でぬくぬくとお待ち遊ばしているが、自分は野ざらしである。上半身はフリースとジャケットのお陰でそれほど寒くないが、顔と足からどんどん体温が逃げている。そのまま3時間、海岸で立ったり座ったりしていたら、確実に風邪を引きそうであった。暖を取れる物としては白金カイロしかなかったが、これだってあの寒さの中では物の役に立ってなかった。
あまりやせ我慢してもしかたない。海岸の場所が確認できたのであるから、あとは時間に来ればよろしい。という事で、歩いて5分のコンビニに退避した。そのコンビニが腰掛けのあるミニストップであったのは幸いである。すでに腹は満杯であったが、腰をかけるために、ホットティとかにパンを買って、歩きつめてガクガクになった腰を椅子に沈めた。隣の席には、現地のケバイ化粧をした中学生の小娘3人が、解読不明の言葉で騒いでいたが、そんな所でもしばらくすると、うつらうつらと眠くなった。
■ミッション・コンプリート?
ふと気が付くと、0615時だった。あれほど暗かった空は、徐々に明るくなっていた。慌ててジャケットの前を閉めて、背嚢を背負って海岸に向かった。海岸には人が多くでていたが、波打ち際を遠巻きに見ている感じだった。ワタクシは慌ててカメラを三脚にセットし、背嚢を背負って波打ち際に突撃した。実に雄大! 実に壮大! 鉛色の空の下に、大きな波が次から次へと押し寄せる。さっそく三脚を押っ立て、リモートを押しまくった。
現地は0820時に発った。行きは3時間の行軍だったが、帰りはバスでたったの20分だった。バスが通っているのは、行きの道々、バス停があったので、必ず通るはずと踏んでいたのだ。帰りの電車はさすがド田舎だけあって、1時間に1本程度だった。今度こそ、電車の乗ってしまえば座ったまま、帰り着く事が出来た。さすがに3時間も歩き、立ちっぱなしだった事もあって、腰が痛く座ってないとやりきれなかった。ウチに帰ってからは、ばったりベッドに倒れ込み、夜まで起きなかった。
帰りはバスで20分。また3時間歩いてたら死んでたかも
《後記》
とにもかくにも、現地までの時刻表はきっちり調べるべきである。「〜だろう」という考えは決してしてはいけない。近場だからといってナメない事だった。
現地へは早めに着く事が多いのだが、車ならいざしらず、体一つの場合は、風を避ける事が出来ない。もしかしたらテントとか持って行った方が良かったかもしれない。
上半身の防寒はほぼ完璧だったが、下半身はかなりいい加減であった。出来ればズボン下を履いていった方が良かったかもしれない。
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